沖縄の長短が分かってきた。長所としては,私が好きな海や空が綺麗なことである。ドライヴをしていても飛行機で飛んでいても通勤で車を走らせていても,空の高さや海の綺麗さを実感できて沖縄は良いなと思う。気が向いたら天気の良い日に海カフェに行くこともできる。島根大学から琉球大学に異動する際,人から「どうしてわざわざそんなところに行くんだ?」みたいなことを何度も言われた。すなわち,所得や教育の水準が低い県にある国内外でのランキングが低い大学にどうして行くのか,という意味である。キャリアダウンだが良いのか,という意味である。私は沖縄が好きで沖縄に来たのであって,外聞や給与水準や研究環境で選んだわけではない(そもそも,研究環境を重視していれば,島根大学にも行っていない)。私は沖縄の良さを実感して沖縄に来て良かったと思う。livingは重要だと思う。この島で綺麗な景色を眺めてそう思う。一方,短所としては,沖縄では分からないことを分からないまま流す人が少なくないことや適当なことをする人が少なくないことがある。例えば,業務上の手続きで担当者の不手際に遭遇することが珍しくない。先日は,午前と午後の予定が逆転していたことがあったが私は知らなかった。私はそれは問題だと思う。だが,それが改善することは望めない。なぜなら,適当なビヘイヴィアが容認されたり見過ごされたりする構造があるからである。ガヴァナンスが著しく低い。その構造改革は琉球大学という組織では不可能である。その改革を試みて体制が動かなかったと提示する教授がいて,詳細を聞いたことがある。こうなると,教員は自身の利益の最大化を考えるようになる。そして,それは,分からないことを分からないまま流す人や適当なことをする人を再生産することに加担することになるが,個人の努力では如何ともし難い。私は社会的活動にあまり興味がないので同志を募って何や彼やとする気もない。ラダ,このように思考を整理すると気が楽になった。期待しなければ落胆はない。こんなものか,で済ませれば良いのだから心的外傷もない。
授業で自分らしさを出すようになった。これまでは心理学をたんたんとレクチャしていた。私はストリートファイターのプロゲーマーをフォローしていて,動画配信や各種メディア情報を視聴している。そのプレイヤーだからこそ動画を視聴したいという感覚を覚えた。この感覚は継続的に視聴している芸人のラジオも同様である。ひとりのファンとしてその芸人の放送を楽しんでいる。もちろん,その人から得られる一般化可能性の高い心理学的な知見にも興味はあるが,その人ならではの見解やワーディングを楽しんでいる。私は,学生をはじめとする受講者が,心理学をレクチャする私に,そのような感覚を抱いてくれれば嬉しいと考えるようになった。社会心理学の知見では,好意的に思う人の行動は好意的に解釈されやすい。ならば,なるべく早い段階で好意的に認識される方が良い。ここは意図的な努力をしてでも好意的に思われる方が私は得策だと思っている。その方が教員としての私にとっても受講者にとってもポジティヴなことが多いと私は信じている。そこで,私は,心理学の客観性を担保しながらも,私個人の実感や経験的確信を織り交ぜたレクチャを展開するようになった。私自身の人間的な部分を開示し,具体的事例を交えて学生をはじめとする受講者にメッセージするようになった。心理学の命題を解説した後に「そうは言っても35年生きてきた実感ではそうは思えない。」みたいな話もするようになった。そして,私の個人的な特色を織り交ぜたレクチャは幾分かの反響を得るようになってきた。学生の親密な反応はこれまでより多く寄せられるようになった。「将太先生の授業を受講して良かったです,他の授業も受講します。」と提示する学生も出てきた。研究室で話をしたりカフェに出掛けたりする機会も増えた。私は客観性を担保しながら,話が分かる学生と積極的に学びを展開していく。
朝日新聞系の言論サイトである論座に原稿を寄稿したが,反響はほとんどなかった。昨年,私は沖縄のTV局のニュース番組が組んだ特集で取材を受け,映像出演した。その時も反響がなかった。そもそも注目されたいと思ってやっているわけではないので別に問題はない。原稿を読んだ母に「よく分からないけどやつ当たりの研究をしていたことは分かったわ。」と言われて驚いた。私は過去に論文や図書を奈良の実家に送っている。これまでに所属した広島大学,島根大学,琉球大学の研究室に母を案内してきた。AustraliaのUniversity of New South Walesで在外研究をしていた時にも母は遊びに来たし,そこでも研究室に案内した。だが,母は研究テーマを知らなかった。世の中そんなものだろう。個人がせっせと従事していることでも他人からすれば気にもかけないことであることは少なくない。近しい教え子は,ひとこと「長いですね。」と内容ではなく表面的な部分で一蹴していた。あの文章で長いと評するのも寂しいが,研究で近しくしているわけではないのでそうなるのだろう。
指導教員としての手応えがあった。私が推した学生が給付奨学金の奨学生となった。また,大学院に進学した学生が私の指導のもとで展開した卒業研究を紀要論文に掲載した。積極的に学ぶ学生が真っ当に支援を受けることや,卒業研究を業績として公開することは,当たり前と言えば当たり前だ。だが,そのようなことも琉球大学ではイージーではない。
人間関係をある程度広げる取り組みをしている。これは安全保障の観点からである。これから私は年老いていく。10年や20年の間隔で見通せば,筋力は衰えるし,視力も近視ではなく老眼という点から衰えるし,疾病という形で困難が訪れるだろう。誰かを頼ることができるということは重要である。業務でも同様である。tit-for-tat matching ruleというものが心理学の知見にある。すなわち,しっぺ返しである。攻撃行動の知見では,しっぺ返しをする姿勢は抑止力として攻撃対象になりにくくする効果がある。加えて,私は将棋が好きで,観戦するファンである。プロ棋戦に参加するアマチュア高段者の将棋を目にすることがあるが,アマチュア高段者の将棋は,プロが指さない独特な将棋であることがある。本筋ではないが,アマチュアでは能力的にも持ち時間の短さ的にも咎めることが難しく,勝利を稼ぐことがある。そのアマチュアがプロと対局する際,プロは当該の手を咎めるので斬り合いの様相になる。これは,ストリートファイターのプロゲーマーの世界でも同じである。プロはどのキャラクタがどのような長短を有しているか詳細に把握している。そのため,プロツアーなどでは変則的なプレーは見られない。一方,アマチュアの大会等では,アマチュア強豪が得意とするセットプレーで勝利を稼ぐことがある。俗に言う「ぼったくり」である。基本的には斬ることはルール違反でありマナー違反であるが,沖縄はルール違反やマナー違反が幾分かあり,琉球大学も例外ではない。ある時,実務家教員からハラスメントに抵触する教養のない発言を受けた。斬られれば斬り返す姿勢を明示することが身の安全につながる。私はぼったくられない。私のスタンスは,学生時代から変わらないが,度が過ぎれば出るところに出る,というものである。すでにいくらか手は打ってある。このハラスメントに抵触する行為は他の准教授以下の教員に対しても行われていることでタチが悪い。ネットワークを持っていることは,出るところに出るにも,事象の客観性を担保できるし,シンプルに相談もでき,身の安全を保障する。以前はこのあたりの「話が分かる」教員が近いところにいたのだが,異動して琉球大学を去ってしまった。私は道具的(instrumental)な関係性を避けてきたが,人はひとりでは生きていけないのでこれからはネットワークを広げる展開を行う。
人間関係を広げることを明示してから,学生に「将太先生,人間関係を広げるんですよね。飲み会に来てください。」と言われたが,私は道具的な関係性も良いと思っているのであって,道具的な関係性に満たないリソースとは交流する気がないので,その学生とは親しいが,飲み会では得るものがないので断った。私は可能性を否定することは嫌いだが,琉球大学の学生に期待することはしなくなった。何か面白い学生や有能な学生であることが分かれば交流するが,現状では期待すると期待外ればかりである。このように書くと身も蓋もないが,総合と分析を行えば人間関係とはそのような部分があることは明らかである。そして,私はそれを忌避していたが,積極的にディグってみようと思うに至った。価値の高い学生からのオファーを私は待っている。
沖縄では2月に曇り休み,6月に梅雨休み,8月に暑さ休みを取ることにした。今年は久しぶりに夏の石垣島で泳いだ。私は沖縄に来てからビーチを巡って泳ぎまわっていたが,ビーチに出かけて泳いでシャワーを浴びて帰宅する一連の行動が面倒になって泳ぎから離れていた。石垣島の米原海岸は珊瑚は減ってはいたが海水温の上昇が抑制されて回復傾向だった。2年ほど電源を入れていなかった水中対応のデジタルカメラは,使う前に電源が入らず,充電さえできなかったので廃棄した。
沖縄における盆の過ごし方に慣れた。今年は沖縄の旧盆も一般的な盆と重なったが,観光業が盛んな島なので商店等は盆休みを取ったり取らなかったりで街全体が休暇ムードとはなっていなかった。その影響で,休みという実感があまりなかった。日付だけ盆だった趣である。
台風の過ごし方も慣れた。台風の影響が予測される時は最低でも1日分の食材を確保する。台風の影響下では家でおとなしくしておく。これで十分である。私は新築の賃貸に入居しているので構造的に危険はない。今年はキャンパスの樹木が根こそぎ飛ばされた去年のような被害はなかった。ウォーキングで近所を歩いていると折れた道路標識が道路脇に置いてあったが,よく見ると折れた部分がサビで腐食していて台風の被害かどうか結論づけにくい。もしかすると,酔っ払いが勢い余ってなぎ倒したかもしれない。台風報道の際に「強風で転倒するなどして何名が負傷」みたいな被害報告があるが,その人が台風の影響下でなくても転倒した可能性もある。転倒した人が高齢者だった時はその可能性は高くなる。だが,それは言わない約束である。
2020年のオリンピックの話題が盛んだが,東京オリンピックであるにも関わらず「日本オリンピック」のような取り上げ方である。1964年大会の成功体験があるので政治的にはこれを機に色色な展開が可能だろうし,ビジネス的にもビッグチャンスということだろう。私は大きなスポーツ大会や音楽イヴェントは,関係者席で観戦鑑賞するのが良いと思っているので関係者席の提供を待っている。音楽イヴェントでもそうだが,私は主催者側の注文が多くて高額なチケットは献金や集金のように思えるので自発的には行かない。現在開催中のラグビーワールドカップも,ラグビー好きの幼馴染から先行予約の段階から一緒に観戦しないかと誘われていたが,チケットのルールが厳しく高額なので観戦しに行っていない。そもそも,ラグビーはTV映像で視聴するのが適したスポーツで,監督などはグラウンドが見渡せる座席に陣取り放送映像を含むカメラ映像を観て選手に指示を出している。私はAustraliaで何度も実際に観戦したが,座席のチケット価格はグラウンドに近い座席よりスタンド中央の方が高額だった。沖縄では開催されないのでフライトチケットとホテル代とチケット代を合わせると10万円や20万円となる。結構な金額である。それなら私は海外旅行に行く。要するに,プライオリティがそこそこだということである。
国内外へは良いペースで渡航できている。私は旅行が好きである。それは,知の流動性が教養を支え,あちこちに移動できることが重要だと考えているためである。かつてはラテン語を用いてヨーロッパ大陸のあちこちで知識を共有することが教養だった時代がある。私はラテン語は扱えないが,ある程度の英語を用いることができるし,移動もできる。私は流動性を大切にし,これからも旅行する。因みに,旅行をして,ホテルで過ごし,朝食で気ままにサラダやフルーツを食べると,家でも朝食にサラダやフルーツを取り入れたくなる。だが,いつもそれがかなわないまま過ごしている。サラダやフルーツは買い出しを含めて準備するのも片付けをするのも面倒なので実践しないで過ぎていく。何か良い方法はないだろうか。これが私の生活水準の限界なのだろうか。それとも,教養の限界なのだろうか。
ウォーキングを継続している。本格的に軌道に乗せた7月から体調が良い。体調の良さに加えて体力の向上を実感している。ThailandのBangkokやVietnamのHanoiで歩き回っても疲労感が小さかった。これは日日のウォーキングのおかげだろう。ウォーキングで1日5,000歩は歩きたいと思っている。1日の総歩数が10,000歩を超えると満足感があり,旅行などでは20,000歩近くになる。学生にこの話をすると「日頃から10,000歩以上歩くのが普通なので将太先生は大したことないですね。」みたいなことを言われた。その通りです。
iPhone 8 PlusをiPhone 11 Proに買い替えた。これまでより格段に小さくなり,類比的に手が大きい私でも小さい方が使いやすいことに気づいた。ウォーキングの際に歩数計としても携帯しやすい。ProとPro Maxのどちらを選択するかで悩んだが,ともに基本的なカメラ性能は良く,詳細な差異はより画質が良いかどうか,よりバッテリが長持ちするかどうか,そして,デバイスの重さだった。私は旅行先での写真撮影はiPhoneで行うのでカメラ性能を重視している。だが,動画はほとんど撮影しない。Appleのプレゼンテイションおよびwebsiteを観る限り,Pro Maxはメディア関係者やstreamerなど動画を多用するユーザー向けのように思えた。そこで私はProを選択した。iPhone 11 ProはiPhone 11よりも小さくて軽い点はAppleの戦略だろうと思う。3つあるカメラをして「タピオカiPhone」と呼ぶ人もいるが,私はiPhoneもタピオカも好きだ。超広角カメラ(0.5倍)と広角カメラ(1倍)と望遠カメラ(2倍)を使って同じ被写体を撮影するとサカナクションの夜の踊り子のミュージックビデオのようになる。
10月から消費税率が8%から10%になるが,特別な買い物はしていない。8%のうちに買って「積極的に得だと思えるもの」があるか考えたが思いつかなかった。時計が欲しいのは変わらないが,買う気が起きない点も変わらない。前回の消費増税では5%から8%になるタイミングでAQUAを購入した。5年半前だった。30歳になり,消費税増税前ということで車を購入し,それを機にバイクに乗ることをやめた。懐かしい。今回は特別なことはない。