2021年の総括を書く。年始に1年のテーマを設けなくなって2年が経過した。上手くいっている。そして,振り返った時に1年がどのようなものだったかを総括として記述するようにしている。人生は予測しないことに多分に影響を受ける。また,自身の見識の範囲で上限を定めると行動が制約される。柔軟に臨機応変に生きることにしている。今年もCOVID-19との付き合いが続いた。沖縄は緊急事態宣言の実施が長かった。今年は食に拘った1年だった。季節の旬のフルーツを食べ続けた。ナチュラルミネラルウォーターを飲むようにしたらお酒を欲さなくなった。夕食はパンを主食にした。旅行先で美味しいものを食べた。10月以降は存分に旅行できた。私は旅行を生活習慣病予防の一環に位置付けている。生活習慣は健康に対して何がポジティヴで何がネガティヴか分かりにくい。そのため,生活が大きく変わる旅行は,分散投資のようなリスクヘッジと私は考えている。38歳になって人生の折り返しだと感じている。ある程度欲張りつつハンブルに生きている。ざっと言えば,今年も楽しかったし,来年も楽しいと思う。人間が自ら困難に陥っていると考えられなくもないが,新型コロナウイルスの人類に対する嫌がらせ(?)が続いている。来年の夏頃には海外旅行に出掛けたい。
PROFILE
淡野将太です。専門は心理学です。琉球大学で准教授を務めています。
Syota TANNO Ph.D., Associate Professor, University of the Ryukyus, Japan.
Curriculum Vitae
淡野 将太 (2025). 小学校における宿題と成績の関連から指導と評価を考える 指導と評価, 843, 56-57. (Tanno, S. (2025). Homework, academic achievement, guidance, and evaluation in elementary school. Educational Evaluation and Guidance, 843, 56-57. In Japanese.)
Tanno, S. (2024). Sabbatical experiences and beyond: Enrichment and integration in psychology research and education. Bulletin of Faculty of Education University of the Ryukyus, 105, 71-74.
2021-12-27
再び東京へ
東京に行った。旅行の前日に学生と食事をしていると,新型コロナウイルスのオミクロン株に気をつけてくださいね,みたいな事を言われたが,もはや感染症対策に関してやることは同じである。私はリスクという概念を分かった上で感染症予防策を講じて行動する。相手は目に見えないウイルスなのでどこにどれだけ存在するのか分からない。普段から安定した生活習慣を維持して体調を管理し,ワクチンを接種し,マスク着用や手指消毒を徹底し,感染症予防に努めている。デニムも馴染んできて引き続き調子が良い。
ラーメンとパンを食べるために東京に行った。日本ならではの美味しい食事で1,000円程度で満足できるラーメンはとても良い食事であると以前書いた。それを書いて「良い事を言うじゃないか。」と自分で思った。ラーメンを食べる旅行に出掛けるのも悪くないと思えた。過去に豚骨ラーメンを食べるために福岡を旅行したことがある。今回はラーメンに加えてパンを食べることを思いついた。ベーカリーも巡ってパンの見識を広めることにした。沖縄から東京に向かう飛行機内で考えると,旅費を勘案してラーメン1杯あたり1万円以上する計算になることに気づいた。1,000円程度が良かったはずなのにどうしてこうなった,と思った。
最高気温が10℃に満たない日があるという天気予報を見てセーターを持参したが不要だった。旅行先で継続して履いているデニムは風を通さないのでボトムスとしては秋から冬はこれで事足りる。私は3泊までならバックパックでキャリーオンできるように荷造りするが,そのバックパックは5kg以上の重さになる。それを持ち上げたり背負ったりを繰り返すと腕や肩や腰の筋肉を使うので体温が上がる。また,徒歩移動が随所で発生するのでエナジーを使う。さらに,街中は暖かい環境が多い。飛行機もそうだが,空港,電車,駅直結の百貨店,地下道は暖かい。セーターを着ていると汗をかいた。それに,今回はラーメンを食べる旅行にしたので食事の中盤から確実に暑くなる。ラーメン屋の店内では半袖姿で食事をし,食後はそのまま半袖姿で歩いた。最近は絶対数が減っているが,私のように冬でも半袖姿で歩いている外国人観光客も少なくない。
新宿のラーメン屋を3軒巡った。まず,醤油ラーメンを食べた。東京に着いた日のラーメンは,沖縄からのフライトで東京に降り立つまでは,ラーメン二郎三田本店で「二郎デヴュー」を計画していた。だが,ホテルがある新宿まで来て気が変わった。10年以上前に学会で新宿に来た時以来,新宿でまとまった時間を過ごしていない。以前は出張などのタイミングで姉とよく新宿で食事をしたが,姉の環境が変わったのでここ数年はない。新宿の街を歩きまわってラーメンを食べたいと思った。飲食に関する予定は柔軟にした方が良い。飲食は体調管理の基本である。その時の体調に合わせて,食べたいものと食べるべきものを食べると良いと私は思う。初めてなのに無理して緊張感の高いラーメン二郎に行くこともない。新宿のラーメン二郎に行っても良いが行くなら本店が良い。新宿の著名なラーメン屋を回ることにした。醤油ラーメンで有名な店に行ったが,私は醤油ラーメンは物足りなく感じるので特段好きではないことが分かった。名古屋における経験を踏まえると,私は中華そばと醤油ラーメンは特段好きではないと言える。美味しかったが物足りなかった。次に,麺屋海神で塩ラーメンを食べた。魚介の出汁が効いていて美味しかった。このラーメンを食べに行ったのは,鹿児島でラーメンを食べた時に魚介の出汁に注目したことがきっかけである。魚介は好きだと認識した。その次は,魚介が気に入ったことに加えて味の濃いラーメンが食べたかったので,創始麺屋武蔵で「ら〜麺(こってり)」を食べた。創始麺屋武蔵は10年以上前に食べに来たことがあり,その記憶を辿って欲求を充足できると考えた。店側の公式の主張では,鶏ガラと豚骨を主体とした「動物系スープ」とかつお節と煮干しでとる「魚介系スープ」のダブルスープということらしいが,分類的には両方動物系である。それはともかく美味しかった。その時の食欲を忠実に満たすスープで私の欲求の読みは確かだった。
ベーカリーも新宿で3軒巡った。LE PAIN de Joel Robuchonのクロワッサンとホテルのレストランに卸している小さいパン(何だったか忘れた)を食べた。クロワッサンは食感が良く,小さいパンはほのかな甘味が美味しかった。次にFAUCHONのクロワッサンなどが小さいサイズでセットになっている盛り合わせを食べた。今回のように旅行先で食べ比べをする際は,このようなセットは便利だ。クッキー生地でコートされたクロワッサンの食感,粉およびバターの香り,味が良かった。Joel RobuchonもFAUCHONも気取っているが,その気取りは沖縄の街のベーカリーにはない洗練として現前化する。その次に,ジュウニブンベーカリーという十分に理解しにくい名前のベーカリーのパンを食べた。「ジュウニブン食パン」と「風船パン」というこちらも十分に理解しにくいパンを食べたが美味だった。いずれも,粉およびバターの香り,味,食感が良く,食欲の限り食べ続けたいくらいの秀逸なパンだった。
前回東京に行った時に教え子と飲んで2次会に全力で誘われたが断ったことを旅行直前に思い出し,お前も来るかとラーメン屋巡りに誘ったが,予定が合わずに実現しなかった。食べたラーメンとパンの画像をメッセージで送っておいた。食べても太らないのはいいですね,みたいなことを言われた。確かに,冬の糖質祭りといった趣である。生まれ持った生理的特徴は嘆いても仕方ない。
東京を歩いてこんなことを考えた。東京は多様性を許容する。ファッションは顕著だった。シャンプーをすると色が落ちるであろう何種類もの色を取り入れた髪の人や,私を含む冬なのに露出度の高い服装の人や,外科的手術を何度も経たであろう顔面の人がたくさんいた。腹ごなしに新宿二丁目を歩いた。私は沖縄でウォーキングをする時,ビーチを見たくなると波の上ビーチまで歩く。波の上ビーチに行く途中で松山という繁華街か辻という歓楽街を通ることになる。辻を歩くと夏は真昼に汗だくで歩く私に果敢に勧誘する店のおじさんがいるが,考えてみると,そこは浴場なので理にかなっているとも思う。新宿でもいろいろな勧誘を受けたが,沖縄と新宿の差異は,緊張感の高さである。新宿の場合は街の凄みが違う。それは文献でもオンラインメディアでも調べればすぐ分かる。人が上から降ってきてもおかしくないのが新宿である。とにかく,私はこれまでそのような店に行ったことがないしこれから先も行くことはないだろう。新宿で都会を感じながら過ごした。
また,東京はあちらこちらで年末のデコレイション,イルミネイション,ライトアップが展開されていて歩いていて楽しかった。空港も駅もオフィスビルも商業施設も綺麗だった。
ラーメンとパンを食べる旅行は成功だった。美味しく食べたしラーメンの嗜好も分かってきた。沖縄に戻ってからもラーメンを食べた。醤油豚骨ラーメンを食べたら好きな味だったので醤油ラーメンでは物足りないことを確証できた。塩ラーメンを食べたら澄んだ帆立の出汁を美味しく食べることができた。次もラーメンとパンを食べる旅行に出掛けた。
2021-12-23
主食としてのパン食の定着
主食としてのパン食が定着した。美味しくパンを食べている。購入および食べ方も様になってきた。3日に1回パンを購入し,サクサク食感や風味が重要なものはその日に食べ,2日目に美味しくなりそうなものは翌日に食べ,幾分かの余りは冷凍保存して解凍して食べるパタンが確立できた。感覚的に表現すると,カッサカサのパンは冷凍保存して解凍して食べても美味しい。冷凍保存に適しているからと言って積極的にカッサカサのパンを購入することはしないが,芳醇なパンをたくさん食べていると,「ひとつくらいはカッサカサのパンも購入しても良いかな」という思考になり,購入したら購入したであまり進んで食べる気にはならず冷凍保存することになり,結果として補欠要因となって何かの時に役に立つというバランスできた状況となる。私の母は料理が上手く,ケーキやクッキーやパンを家で作っていた。私はそれを横で見たり手伝ったりしていた。作った翌日の方が美味しくなるものがあることは子どもの頃から知っていた。亜熱帯気候で高温多湿の沖縄は夏と冬では保存の難易度が段違いである。冬は楽だ。普段使いのベーカリーは10件ほどある。原材料へのこだわりが分かればひとつ1,000円のパンも購入してパクパク食べる。旅行先でも著名な店を調べて購入して食べている。
2021-12-20
熊本へ
熊本県人吉市に行った。鹿児島からレンタカーで向かった。
目的は人吉市における令和2年7月豪雨による災害の復興の視察である。人吉市にいる学部時代の同級生に寄付した話は以前のブログに書いた。私は小学生の時に地元奈良県で阪神淡路大震災を経験したことはあるが,幸いなことに大きな被災はない。中学生の時に台風が直撃して体育館の屋根が吹き飛び,その影響で電線が断線して中学校周辺の停電を引き起こし,数日間休校になったこともあるが,見識が狭く休校を喜んでいたくらいだった。この歳になって災害と復興を知りたいと思った。人吉市は災害の影響で旅館の営業が限定的だった。今回は鹿児島から日帰りで訪れた。
学部の同級生に連絡を取り,人吉市を歩きながら災害と復興について聞いた。人吉市は歴史的に球磨川の水害を何度も経験している。床下浸水や床上浸水は慣れたものらしい。ただし,令和2年7月豪雨は特異的だった。復興は進んでいるが,依然として進行形の段階にあり,廃墟が残されたままの場所もたくさんある。レンタカーで人吉市に入った時,道路沿いの建物を見て山間部の盆地の一般的な街並みだと思った。だが,同級生と合流して細い道に入ると,泥まみれの建物や解体中の建物がたくさんあった。人吉市は温泉で有名であるが,災害を機に温泉の湧出が止まった浴場がいくつもある。人吉市は球磨焼酎で有名であるが,水没した酒蔵もある。
同級生の分かりやすい説明に感心した。学生時代から社交的で対外的説明を苦にしない行動特徴を有していることに加えて,教員をしているので職業的に説明に慣れていると言えばそれまでだが,教員であっても説明に不慣れで説明が下手な人間はたくさんいる。同級生は行政や地域との繋がりを有し,各方面に説明する経験を経ていた。住民としての具体的な経験や困難の主張に加えた客観的な事象の説明は第三者として聞きやすかった。
そして,日本に数多く存在する,日常生活が自然と密接に関連している関係で災害が身近なものとして存在する町の政治的判断は,まさに正解のない政治的判断だと感じた。東日本大震災のような大災害の教訓を活かして集落ごと移住する町がある。一方,災害があってもそこから離れない人もいる。球磨川とその支流の流域にも,何があろうとそこにいたいという人がいる。補助金を巡る問題もある。正解はない。私は生まれ育った土地や現在の生活に関して,執着のようなサムシングはない。奈良県生まれ奈良県育ちだが,奈良に帰りたいと思わないわけではないが積極的にそう思うことはない。海と空が好きで沖縄に移住したが,マンションを選ぶ際は海抜20m以上に住むし,台風の暴風のリスクを避けて海沿いには住まない。
寄付したことをきっかけに人吉市を訪れたが,寄付の観点から言えば旅費も寄付すれば人吉市のより多くの子どもが喜ぶだろうとは思う。「シンドラーのリスト(Schindler's List)」という映画がある。第二次世界大戦中にドイツ人実業家であるシンドラーが迫害を受けるユダヤ人を雇用するリストに記載して救出し続けた話である。シンドラーが,もっと救えたはずだ,と自戒するシーンがある。すなわち,資金を捻出すればもっと多くの人命を救えたはずだと自戒するシーンである。私がした寄付は人命救助ではないが,今回の旅費は寄付金額を超えている。その点では,やはり,以前のブログに書いた通り,自分の好きで寄付をしたという点は変わらない。私は今年に入って沖縄の平和教育に関するレヴュー論文を書いて現在校正の段階にある。沖縄を目的地とする修学旅行のほとんどは平和学習を基軸にしている。沖縄県も,それを基軸とした平和教育とツーリズムを構成していて分離できない。様様な考えが浮かぶ。そんな旅行だった。
2021-12-16
鹿児島へ
鹿児島に行った。鹿児島で鰻や豚肉などの美味いものが食べたかった。また,熊本県人吉市に行きたかった。熊本県人吉市は鹿児島空港から行きやすい。ならば鹿児島で美味しいものを食べながら熊本を旅行すると面白いと考え,鹿児島に向かった。
伊丹経由で向かった。沖縄と鹿児島は近い。那覇市と鹿児島市は,那覇市とTaiwanのTaipei Cityの距離と同じ程度である。沖縄はそのような地理にある。今回は伊丹で母と合流して鹿児島に向かった。那覇空港からJALを使うと羽田空港便と伊丹空港便でA350に搭乗する機会がある。A350は身体への負荷が小さく快適だ。何度も登場してその良さを体感している。これまでの旅行経験では,A380,A350,B787が快適で好きだ。私はB777は好きではない。
この旅行は12月に入ってからのものである。新型コロナウイルスの変異株報道が盛んに行われるようになったタイミングだった。だが,国内の旅客は,体感では,相変わらず,回復傾向にあると感じられた。
鹿児島では狙い通り美味いものを食べた。鹿児島県は鰻の生産量の多さで有名である。鰻を食べた。美味しかった。名古屋のひつまぶしの有名店には敵わないが,街場の人気は活気があって良かった。鹿児島県は豚肉の生産量の多さで有名である。かつ,私はあぐー豚好きである。豚々ジャッキーという店であぐー豚のとんかつが好きになった。しゃぶしゃぶ紺という店のあぐー豚しゃぶしゃぶも美味である。鹿児島の黒豚とんかつを食べた。ロースとヒレを食べ比べ,ロースの脂身が好きだと分かった。鹿児島ラーメンで有名な豚とろという店でラーメンを食べた。魚介が効いたスープが美味いラーメンだった。豚骨ベースの濃厚な味が好きな私だが,この味は今後のラーメン選択に影響が出そうである。他には,行き掛かりで食べたカンパチも甘エビも美味かった。
他には,城山ホテル鹿児島の露天温泉が秀逸だった。温泉からは鹿児島市街と桜島が丸見えだった。街と桜島からは私が丸見えだっただろう。このような時,好きな人は何かしらの道具を用いて覗いていると想像するが,その想像が真だとして,好きな人がどのような人でどのように覗いているのか私は知らない。
桜島を楽しんだ。桜島は鹿児島にいると気にかければ大体目に入るアイコンである。快晴の天気予報だったのでレンタカーごと連絡船に乗って移動して桜島を走った。大正や昭和など噴火した時代に応じて植生が異なる麓の緑と,噴火警戒レヴェル3が日常となっている現在の火口付近の茶色と,噴煙の白が綺麗なコントラストになっていた。デフォルメして絵にしやすいアイコンである。沖縄を旅行すると琉球石灰岩がブレステイキングだが,桜島をドライヴすると黒い溶岩がそうである。私のビヘイヴィアを振り返ると,旅行でここまでアウトドアでアクティヴに活動するタイプではなかった。COVID-19の影響で外出が憚られ,活動的になりたいと思ったのかもしれない。
2021-12-13
経済の演習:寄附
経済の演習として寄附をした。経済の演習で得た利益を使う取り組みである。高校の同級生の画伯が,同じく高校の同級生Oの父親が言った言葉として教えてくれた「お金は使い方が重要である。」という命題を私はずっと考えている。人間は生命としては死んだら終わりである。命のあるうちに何かしたい。人間は,地球規模で貢献したり,家族を愛しんだり,あるいは,オーディナリな人間として人類の歴史から見れば何も影響のない人として生きたりする。研究者なら当該領域の発展に寄与したり,技術が社会に応用されたり,引用され続ける研究をしたりすることができれば名誉なことである。人生は正解がない。そんな中,経済の演習をする中でビジネスや投資のビッグネームが寄附をすることを見聞しているうちに,寄附に興味が出た。そして,今回自分でも行なった。
寄附すると私はどのような心理学的状態になるのか知りたいという外発的動機(extrinsic motivation)によって寄附をした。私は寄附によって感謝されたいわけではないし,恩を着せたいわけでもないし,そう思われたら仕方ないがでしゃばりたいわけでもないし,優越感を得たいわけでもない。寄附は名乗り出る方法も黙っておく方法もある。私は演習として寄附したのでここに書き留めている。したいからするという内発的動機(intrinsic motivation)によるものではない。経済の演習として獲得できる知見があるという外発的動機によるものである。
2021年5月,熊本県人吉市にいる学部時代の同級生が,学部で同じコースに所属したメンバーが入っているLINEグループでサポートを募っていた。同級生は令和2年7月豪雨による災害の復興にコミットしていた。夏に行なう子どもを対象にしたイヴェントのアイディア,イヴェントの物品,資金が必要だと言った。災害から1年が経っても地域の子どもたちに対する心理学的サポートや生活必需品以外のQOL(quolity of life)を向上させる物品が必要だと言った。もちろん,災害の直後には国や自治体の支援や研究機関による専門職の派遣もあったが,月日が経って満足できる状態にはないということだった。
同級生はメッセージでイヴェントのアイディアや励ましの言葉を送っていた。私が所属したコースは学生が40人いた。LINEグループには30人が参加していた。私が4年前に人生の暇つぶしでFacebookで懐かしい人と交流をした際,学部のコースの同級生とも繋がった。同級生が店長をしている店で飲み会もした。LINEグループはそれをきっかけに構成されたグループである。アクティヴではない期間があったので,私は例のごとくグループから脱退していた。ある時用があって再度加入し,現在に至る。私は災害当時はグループに入っていなかったのでやり取りを知らない。同級生の話では,災害直後はCOVID-19の関係もあり,物資の渋滞とも言える状況が発生していたらしい。日本は不安が高い国と言われるので,災害派遣や復興支援に対して滞りのない手続きを求める意見がフィーチャーされやすいが,その意見を含めて客観的に議論する余裕がある国であるということを評価しても良いと私はいつも思う。
翌朝起きて一連のメッセージを見ると,諸諸のやり取りの中に「淡野はシーサー作りのキットを送ってくれても良いよ。」みたいなことがなぜか名指しで書かれていた。私は一連のやり取りがどうなるのだろうと興味深く見守ることにしていた。サポートの要求および提供は複雑かつデリケートである。サポートの要求自体が図図しいと見なされる可能性があるし,求められた側は可能な範囲で何かしたいと思ったり間接的に断ったりする。実際,何かしたいけど難しいと返事している同級生がいた。何も言わなければ良いところでもあるが,何か言いたくなるのが人間である。そんな中,一夜明けて気にかけて読んでみると,何故か自分の名前が出ていた。
私は返答する前に,シーサー作りについて詳しく調べるべく,理論的前提(theoretical premise)がないうちはインタヴューや自由記述による予備調査が重要であるという心理学研究の基本に忠実になり,国際通りの土産物屋を数件まわってシーサー作りについて尋ねた。この数件回るという行動が重要である。沖縄では知らないくせに「これが業界の結論だ。」みたいなスタンスで断言する人が少なくない。事務手続きでも電話で問い合わせをした際に,電話を受話した専門ではない担当者が私見で回答して拗れることが珍しくないのが沖縄である。沖縄ではその拗れを解消することが業務のひとつと言っても過言ではない。私の行動はそのような人間に振り回される悲劇を回避する行動である。店のおばあ複数名に聞いて集約できた知見は「シーサー作り体験」や「シーサーの色つけ体験」はあるが「シーサー作りキット」的サムシングはほとんどないということだった。私は自分ではしたことはないが,リゾートホテルなどで「シーサーの色つけ体験」はよく目にする。沖縄では雨が降ると観光客的には興ざめである。ドライヴやマリンスポーツやビーチアクティヴィティや景勝地訪問が主体の沖縄観光で雨が降ると面白くない。なんとかお茶を濁すためにシーサーに色をつけたり珊瑚の欠けらや貝殻を使ったアクセサリを作ったりすることになる。ウェブで調べると,確かに「シーサー作りキット」的サムシングはあまり販売されていなかった。あったとしても,漆喰や粘土でシーサーを作る子どもには難易度が高いものだった。また,別にシーサーではなく犬や猫にでもなってしまう点も面白くない。粘土でも何でも良いなら文具メーカーに支援を要請した方が早い。ひとりのおばあに,あらやち(荒焼き)あるいは素焼きのシーサーに絵の具で色つけをすると良いと言われた。なるほどと思った。
以上の情報を踏まえ,私は10万円なら支援できるから資金かシーサーか選んでくれ,と同級生に応えた。経済の演習で手にした小銭から寄附することにした。ただ,なぜその金額にしたのかは分からない。前澤友作が10万円を贈与しているという情報でプライミングされていたのかもしれない。経済の演習の過程で行なった確定申告で,一般的に申告が不要な収入金額が20万円という定めを知ったことが,お金の計算で10万円を単位に考えることを方向づけていたのかもしれない。1万円は少ないが100万円はやり過ぎだと考えたのかもしれない。特別定額給付金も10万円だったが,プライミングされたのだろうか。
加えて,私はいくつか情報を提供した。私はその時,トラウマ(trauma)とPTSD(post traumatic stress disorder)について原稿を書いていた。公開前だったが情報の価値はあるのでグループ内で留める前提で原稿を共有した。また,ひと通り検索したところではe-Radや学内の研究費では募集はないようだったが,大学の事務で復興支援向けの研究費があるか確認する約束をした。これについては「なしよりのなし」感があると断っておいた。そして,授業で被災地の子どもが楽しめるイヴェントを学生に立案させる課題を課してアイディアを送る約束をした。
私は援助行動は心理学の知見として知っているが,それ以外は詳しくない。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教や仏教における慈悲や隣人愛や喜捨や布施の概念は曖昧にでも知っているし,団結を好む思想も知っているし,海外旅行や在外研究で国や地域の宗教による行動の差異性を実際に見てきたものもある。ただし,私自身は宗教的コミットメントはないし,宗教は理解するものではなく信じるものだと言われることも「理解」しているし,団結の前提に馴染みがない。目の前の困っている人を無条件に助けることを躊躇することは少なからずある。人助けをして気持ち良い気分になることに思考を巡らせるタイプである。人に助けられてその人に他者を助ける機会を提供したとは思わない。悪いことをしたいと思っているわけではないが,善だけで生きれるとは思わない。徳を積むという感覚がないわけではないが,それに必死な人を見て気の毒だと思う。私のことを品行方正だと評価する人はたぶんいない。援助交際は援助をする側もされる側も経験がない。「パパ活」をしている学生は知っているが,パパになったことはない。旧宗主国がかつての植民地に口出しし,時に意図的に混乱を招くようなことをし,その混乱を鎮圧することで支援だと主張する行動を都合の良い支援だと思う。寄附もヴォランティアも興味があるが,何だかよく分からない理由と明確な設備不良で焼失した文化財の復興に寄附をする気は起きない。復興に関連する予算を使っていろいろな悪行をはたらく行政や企業や一般人の気持ちは心理学的には説明できるが個人的にはどうかしていると思う。
世界では解決すべき課題も議論すべき命題もたくさんあり,私は自身の知り得たものに限定して支援することをどのように考えるべきか分からずに生きてきたし,今でも分からないままであるが,今回は経済の演習で手にした資本のごく一部を経済の演習として寄附したくなった。復興と言っても,そもそも地方にある街の復興はどこまでが復興でどこまでが本来的状況なのか分かりにくい。世の中には焼け太りという言葉もある。熊本県人吉市の子どもが楽しんでいる間に,世界のあちこちで死んでいく紛争地帯やスラムの子どものことをどうのように考えるべきなのか私は分からない。目の前のことから始めるという行動の一般化可能性を考えてしまうために,目の前のことから始めることさえ熟慮してしまう。沖縄では「子ども食堂」が一般的になったが,一般的であることを考え直した方が良いと私は考えている。また,当事者になってことの重大さに気づき,関与の程度によって行動が変容するのが人間である。私は小学校で生徒会のようなサムシングに加入していた関係で,年に数回,校内で募金活動を行なっていた。私が通った小学校は,児童数は1,000人ほどだった。教職員と児童合わせて毎回概ね2万円くらい集まった。ひとり20円ほどの募金額である。阪神淡路大震災が起き,募金と支援物資を集めることになった。募金額は27万円になった。鉛筆やノートを中心とした筆記用具は教室2部屋分集まった。このような露骨な行動の変容を,私は都合が良いと思う。そのため,少しためらいがある。さらに,このブログの読者はご存知の通り,私は恩を着せるのが好きではないし,社交辞令も面倒臭いと思ってそれから距離をとる人生を歩んできた。過去に異動の際に学生に寄せ書きやプレゼントをもらったことがあるが,もらった帰り道で破棄したことがある。学生はそれを見て文字通り絶句していた。一定期間保管して人目につかないところで処分すべきというマナーも私には煩わしいということを心理学の知見をふんだんに織り交ぜて学生に説明し,そういうものはいらないと断った上で学生が渡してきたのだから,私は直線的に処分したまでである。それで怒り出すなら気持ちの押しつけである。もちろん,世の中はそういう押しつけの応酬でもある。だが,私はそういうものから離れて生きているのでやめて欲しいし,怒り出すのはお門違いである。
同級生はシーサー60セットと絵の具10セットがあれば助かると言ったので,別の日に那覇市壺屋の窯元やシーサー専門店をまわってどのようなイヴェントが開催可能か聞いて回ると,あらやちあるいは素焼きのシーサーにアクリル絵の具で色つけをすると子どもが喜ぶだろうことが分かった。壺屋で著名な窯元では陶工から丁寧な説明を受けた。アクリル絵の具なら耐水性も高いので屋外に置けることに加え,色落ちした時は塗り直せば良いと教えてもらった。その店のシーサーは手作りで高価だが,国際通りでは型を用いた量産型が出回っているので安価だとも教えてくれた。自身の店の売り上げだけを考えるのではなく,業界のことを考える余裕があるのは著名な窯元の懐の深さである。とあるシーサー専門店では「このシーサーなら色を塗れるんじゃない?」くらいの対応だったが,購入するかどうかも分からない人間にはその程度の説明で終わることはポッシブルである。
高校の同級生の画伯にアクリル絵の具についてメッセージで問い合わせると,絵の具はアクリルガッシュが良いことが分かった。ウェブで検索してどのような絵の具があるのか調べても,概要の把握程度の知識レヴェルにしか到達できない。美術の世界にいる画伯に実際の知見を聞くと,アクリルガッシュが良いと言われた。確かに,オンラインショップを参照するとアクリルガッシュが上位に出てくる。
シーサーは簡便なシーサーを購入することにした。シーサーはサイズと価格が相関する。5cmほどならペアで1,000円から2,000円程度で販売されているが,それではイヴェントで子どもが色つけするには小さすぎる。だからと言って,10cmから15cmにするとペアで5,000円から10,000円になる。重ければ送料も高くなる。沖縄からの送料は馬鹿にならない。シーサーは口を開けているのは雄で閉じているのは雌だと初めて知った。また,基本はペアで並べるが,屋根の上に載せるシーサーは口を開けた雄単体であることも学んだ。安いものは輸入品もある。オンラインストアで購入できるシーサーは意外と高価だし素材が不明なものもある。調べ出すと奥が深い。せっかくならジョートーなやちむんにしたい。妙案がないかと考えて大学で教授に尋ねると,人間国宝の孫を紹介してもらえた。電話で問い合わせると提示した条件では難しいと言われた。1セット10万円ならまだしも,60セットのシーサーを10万円で注文することは流石にできないようだった。ただし,修学旅行などの団体旅行対応に実績があるむら咲むらなら情報があるだろうと教えてもらえた。そこで,むら咲むらに問い合わせると,シーサーの絵つけ体験で使っている陶器のシーサーの販売をしていることが分かった。
そして,私はシーサー62セット124体とアクリル絵の具のアクリルガッシュ10セットを贈った。シーサーは予備で2セット多く送った。問題なければ見本として使えば良い。シーサーは怖い表情のものだと子どもが怖がる可能性がある。学部生の頃,ヴォランティアをしていた小学校の1年生が,ミッキーマウスが怖いと言っていたことを思い出した。言われてみれば瞳孔が開いていて穏やかならぬデザイン(?)ではある。その小学生はきょうだいでディズニーランドに行ったらしいが,瞳孔が開いたネズミが主役のディズニーランドは楽しめなかったらしい。USJはキャラクタがなんだかよく分からないことが幸いして何度も遊びに行っていた。「こういうものだよね」と大人が認識している概念と,子どもがシンプルに視覚的に知覚するものは異なることがある。シーサーはものによっては魔除けを兼ねて威厳を込めた意匠となっている。そこで,シーサーは比較的ポップなデザインであることに配慮した。余ったお金はイヴェント時に配布するお菓子に充てることにした。
大学の事務で復興支援向けの研究費があるか確認すると,やはりなかった。災害直後ならあっただろうと言われた。仕方ない。
学生から募集したイヴェントのアイディアは,ブレインストーミングで出たアイディアを記述したホワイトボードの写真を送った。感染症対策や災害復興イヴェントへの配慮が足りないものがあったが,そこは同級生のインスピレイションとなっていればそれで良い。
COVID-19の蔓延により夏に予定されたイヴェントは延期され,その後,来年の暖かい時期に開催されることになった。大量のシーサーは保管されており,引き続き半年ほど待機することになる。開催予定がかなり先に延期となったのは,九州の盆地である人吉市で寒い冬に沖縄関連のイヴェントをするのは興醒めということもあるが,このシーサーをきっかけに同級生が沖縄関係の団体にオファーをした結果イヴェントの規模が想定より大きくなり動きが鈍ったことが影響している。私としてはシーサーを贈って満足したのでそれ以降の事情は詳しく知らない。開催されれば何かしらの連絡はあるだろう。
今回の寄附で得た知見は,寄附をする過程で楽しく充実した時間を過ごすことができることと学部の同級生のビヘイヴィアを参照することができたことだった。国際通りや壺屋で店を訪ね歩いた時は,時間を忘れて見聞した。人間国宝のことを詳しく調べる機会にもなった。人脈の重要性を知った。自分で自分に使う10万円とは違った。学部を卒業して15年が経ち,私も同級生もそれぞれに教諭や保育士や民間企業の従業員や専業主婦や居酒屋の店長という人生を歩んでいるが,観察可能な限りでは,LINEグループで共有されるメッセージは15年ほど前の学部時代の授業やヴォランティア活動における議論とあまり変わらなかった。私は教育学部の問題点のひとつに,関係指向的なやり取りを行う中で経済合理性やコストベネフィット関係への配慮が低下することがあると思っている。同級生と足並みを揃えて近視眼的なコストを下げるために手間暇をかけて資源を食い潰すという問題がそこにはある。時に工夫してアレンジすると勝手なことをするなという面倒なやっかみ的サムシングさえ投げつけられる。日本の教育行政や文教云云は共産的価値観があるので教育学部では仕方がない。15年が経っても,私としてはまどろっこしい部分が依然としてあった。誤解のないように書いておくが,私は同級生の行動が悪いと言っているわけではない。そういうものだと書いているだけである。同級生には女性が多く,心理学,脳科学,および,生物学的に他者との協調を重視する関係指向的な行動を採択することは自然なことだと受容できる。それに,同級生は個別のメッセージのやり取りも並行して行なっており,目的指向的なやり取りはそちらで具体的にしていたと考えられる。実際,イヴェントの期日に関わりなく,同級生のサポートの要求から数日で,現地の子どもが喜びそうな物品が届けられていた。
「淡野,10万円で何を偉そうに言っているんだ。」と言われるかもしれないが,私は私の好きにやっただけである。私は「たまには寄附もいいじゃない。」という感覚である。自分も寄附をしたいと思う人は連絡をくれれば私から同級生を紹介する。寄附と言っても控除の対象となるような形式ではなく,カジュアルに知人を通して被災地の子どもに贈り物をしただけである(まだ子どもたちには渡っていないが)。災害復興は国や自治体がすべき規模であるし,企業や経済のビッグネームのような寄附など私にはできない。海外では私的な寄附で大学やビルが建つ。私が在外研究で滞在したAustraliaのUniversity of New South Walesは,研究棟ひとつひとつに寄附をした人の名前がついていた。大規模なものはそのような人たちがやれば良い。COVID-19の影響で人的流入は制限されるが,日本にはスーパーヴォランティアという分かったような分からないような人助けのプロ的存在もいる。私は身の丈にあった自分の好きなことをしただけである。繰り返しになるが,私は寄附によって感謝されたいわけではないし,恩を着せたいわけでもないし,そう思われたら仕方ないがでしゃばりたいわけでもないし,優越感を得たいわけでもない。感謝は要らないが,寄附された側は何かしたいと思い,人によっては何かせずにはいられないことを私は心理学的に理解している。数年前とはこの点において変容している。そのため,感謝しないでくれとは言わなかった。漫画やアニメや映画で,悪党が急に味方について「これは俺自身のためにしたまでだ。」みたいなことを言うシーンがある。私はその描写と合致するものを感じている。呉越同舟という故事がある。それも人生を以って同意できるようになってきた。
私はここ数年,人生は自身が充実し満足する中で他者も満足できればなかなか良さそうだ,と考えるようになった。寄附も私のビヘイヴィアと同級生の要求が合致した。他にも,学生との関係などでウィンウィンの関係であれば良いではないかと思うようになった。目的志向も関係志向も全て詰め込んで,幸福の最大化ができれば面白い。これまでも楽しい人生を歩んできたが,より明るく楽しく充実した人生が展望できている。
2021-12-09
愛知へ
愛知に行った。具体的には愛知の名古屋である。11月後半に旅行した。羽田,伊丹,福岡行きのフライトとは異なり,中部行きのフライトは空いていた。旅客数は路線や曜日や時間に依存するのだろう。COVID-19が世間を閉ざす以前に名古屋に行った時にも信じられないくらいに空いていたことがある。一方で,名古屋駅は人で賑わっていた。駅のケーキ屋やベーカリーは行列ができていた。土産物店や飲食店の店員は大声でプロモーションしていた。待ち合わせする人人がアイコンにアタッチしていた。大阪で購入したデニムを履き続けて引き続き調子が良い。
幼馴染と海の日という店で飲んだ。1年ぶりの再会である。熟成させた刺身が美味しかった。他にも魚料理がたくさんあり,たくさん食べて楽しんだ。隠岐島に行く話になった。共通の幼馴染が住んでいて今年行く予定があったが,COVID-19の影響で行けなかった。感染症対策を徹底した生活様式とワクチンが普及したので流石に来年に行けるのではないかと展望した。彼は今年からサーフィンを始めたらしい。淡野もサーフィンをしろよと提案されたが,怪我のリスクが高いのでしない。サーフィンは筋力トレーニングにもなると勧められて,その点は良いとは思った。サーフィンは胸筋の発達にポジティヴである。私たちはアラフォーの年齢になった。温泉やビーチで諸先輩の身体を見ると,肥満でお腹が出たり,弛んで肋骨が浮き出たりしている様が目に付く。私はお腹が出る可能性はないだろうが,胸部の肋骨が浮き出る可能性は高い。それが悪いことなのか分からないし,基本的には抗えないことだが,とりあえずウォーキングでよく腕を振ることにした。持ち家の話になった。彼は暖炉を備えた持ち家がある。これからの季節,薪を割り,暖炉で火を作り,穏やかな時間を過ごすらしい。羨ましい。私は維持管理や掃除はしたくないので3泊4日くらいで貸別荘で薪をくべるだけならしても良い。資産運用の話をした。彼はインデックスファンドへの投資にシフトした。私も運用方法をアレンジしたことがあるが自身のビヘイヴィアにマッチしなかったので旧来のスタイルに戻した。この日は那覇空港で昼食に食べたカレーが物足りなかったため,夕食は空腹感が強かった。締めにラーメンを食べることにした。旅行先ではグルメサイトのランキング上位で食事をするという選択をする。その店は「二郎系」と言われるような極太麺でコッテリしたスープのラーメンを提供していた。このようなラーメンは私のキャパシティで食べられないことはないが事前に調子を整えて臨むものである。店内が狭小だったので店の外で暫く待った。待つ間に先客に供されるラーメンを見てヴォリュームが多いと思った。同時に,待っている間に空腹感がなくなってきた。私は普段なら,オーダーする際に店員に量について尋ね,食べきれなさそうな時は少なめとか小盛りとかのオーダーをする。しかし,この時は少し酔っていてその配慮ができなかった。店長すまない。
名古屋でラーメンについて考えた。一連の旅行先で名産品に加えて蕎麦やラーメンを選好して食べていることに気づいた。改めてラーメンについて考えると,時間や行動に余裕のある旅行を何度もしているのだから意図して積極的に各地のラーメンを食べると面白いと考えた。以前にも書いたことだが,私はラーメン好きである。ラーメン通ではない。グルメでもない。美味しいと言われる店で美味しくラーメンが食べられればそれで良い。ラーメンは安くて美味しい食事である。今では外国人観光客はほとんどいないが,旅行することを考えた時,日本ならではの美味しい食事で1,000円程度で満足できるラーメンはとても良い食事である。
ホテルの朝食に名古屋の食があって楽しめた。味噌汁を飲み,ひつまぶし用の鰻があったので鰻だけ食べ,小倉トースト用の小倉餡があったので小倉餡だけ食べ,ういろうはういろうで普通に食べた。滞在中は毎朝これらを楽しんだ。人生はこのような簡単なことで満足を重ねることができる。
積極的にラーメンを食べることに決めたので,早速昼食で食べに行ったが,私は中華そばはあまり興味がないことが分かった。前回の選択を反省し,グルメサイトのランキング上位からいくつか選択し,ラーメン屋に向かった。名古屋駅周辺を散策すれば時間が過ぎるだろうと思ったが,日常的にウォーキングをしている私は思いの外早く歩けた。名古屋駅周辺の地下街をあれこれ眺めながら歩いても45分しか経たなかった。開店時間より早く着いて待つのも面倒なので第二候補の店に行った。中華そばだった。口コミが高評価なので楽しみにしていた。食べると全く想定の範囲内だった。私は濃厚なスープのラーメンが好きなのだろう。
広島大学時代の教え子としば福やという鰻屋で飲みながら鰻を満喫した。こちらも1年ぶりの再会である。教え子は名古屋にいても日頃は鰻をほとんど食べず,「土用の丑の日と淡野さんに会う日に鰻を食べれば満足です。」と言っていた。ひつまぶしの鰻がぎゅうぎゅう詰めに入っていて鰻を堪能できた。彼女は徳島にいる教え子と同級生である。どうにか集合できないかと考えを巡らせて,諸事情を勘案して好機を待つことになった。その同級生の話になった。徳島で聞いた話では,名古屋で学会の大会があった時にふたりで名古屋観光をし,名古屋城に行きたいと言うと,名古屋の教え子に「名古屋城は興味がないからひとりでどうぞ。」と応じられて寂しかったと言っていた。その話をすると,名古屋の教え子が「私そんなことしたかなあ。」と言った。そして,「素直に表現し合う仲なのでそうしたかもしれないです。」と続けた。私の話になった。私は「同級生だったら淡野さんはあり得ないですよ。」と言われる。思考も行動も受容できないという意味である。同様のことを少なからぬ人に言われる。その意味は分かる。ただ,考えて欲しい。私とみなさんは同級生ではない。それぞれの立場で年齢差や心理学的に言う学習を経て出会って関係性を構築した。心理学関係者と話をすると議論が進展しやすい。概念の共有ができているのでそれらを踏まえた具体的な話とその先の話ができる。最近は職場でそういう話が少なくて寂しい。鰻を食べた後に甘いお酒を飲んだ。私は普段,昼食と夕食の後にお菓子を食べる。夕食が飲み会の場合,デザートを食べるチャンスがあれば食べる。なければ困る。最近になって甘いお酒を飲む方法を思いついた。美味しく飲めている。お土産ももらった,ありがとう。彼女は休暇をアレンジして大型連休を作り,翌日から東京に向かった。
次の昼食もラーメンを食べることにして,麺屋獅子丸というラーメン屋で美味しく食べた。この店は前日に開店時間より早く着いてしまった関係で諦めた店である。高島屋で蜂蜜を購入して時間を調整した。オンラインショッピングが便利な昨今でも,店頭で得られる情報があるため,日用品でも食料品でも私はたまに店を覗く。私は毎日蜂蜜を食す。瓶詰めだと取り出しにくいのでチューブタイプを購入するか詰め替えて使う。容器の制約が大きいので良い方法がないかスタッフに問うと,固体に近いものならスプーンなどで掬いやすいことを教えてもらえた。食品で言えばジャムのような,整髪料で言えばワックスのような,文具で言えば糊のような粘性の蜂蜜である。Italy産とFrance産を購入した。合わせてチューブタイプの国産蜂蜜を購入した。いろいろ話をしていると時間が過ぎてしまった。ラーメン屋に開店直前に到着した。既に行列ができていた。私は待つのが苦手だが,少しくらいはいいだろうと高を括って待つと,30分待つことになった。空腹の影響もあってイライラした。人間は意見の一貫性(concsistency)を保つ傾向がある。イライラして情動もネガティヴだ。この知見に従うと,待たされるという待遇に関連してラーメンの評価もネガティヴになる可能性が高い。ただ,私はそれを心理学的に自覚しているので,意見をニュートラルに保つ力が働く。供された白湯ラーメンを食べると美味さに感動した。濃厚なスープとコシのある麺が非常にマッチした。スープを一口飲む。麺を一口すすって噛む。この繰り返しが至高である。美味しかった。待って良かった。
他にアポイントメントが1件あったが,相手の勝手によりなくなった。こちらは約束を確定させてから旅程を組んでいる。trash moveのせいで旅程が台無しになった。成人してからこのようなことをする人間は絶望的で何か言っても仕方ない。以後関わらないまでである。
名古屋ではたくさんの美味しいものを食べて満足した。物流が発達しても,沖縄では食べることが困難なものがたくさんある。例えば,高くても良いから美味しい鰻料理を食べたいと思っても,美味しく料理する店や料理人がいない。沖縄に戻ってから鰻を食べた。美味しかったが,名古屋で食べたものには到底及ばない。旅行を繰り返すと各地の食文化は偉大だと思う。同時に,その食文化を維持するために行政の補助金を含む多額の資金が使われた結果,固執して不自由になっている状況をどう考えて良いのか疑問に思う。帰りのフライトも空いていた。沖縄周辺の海では軽石が流れていた。デニムが馴染んできた。
購入した蜂蜜はとても美味しかった。食品は粘性が高いと甘く感じられる。ねり飴のような食べ方もできる甘く美味しい蜂蜜だった。ただ,世の中には,収穫した後の殺菌工程で急速に加熱して粘性が高くなる蜂蜜もある。急速な加熱は栄養が損なわれてしまう。その結果であれば,甘く感じられるが栄養の点においては不十分ということになる。Italy産とFrance産についはその詳細は分からない。とりあえず美味しく食べている。
2021-12-06
38歳になって
先月38歳になった。誕生日や年始にどのような1年にしたいかということを考えなくなって久しい。では何も考えないのかと考えてみると,考えないということはない。例えば,生活の要所で非常に分かりやすく「今死ぬのは嫌だ。」という思考が浮かぶ。統計的には平均寿命と平均余命と健康寿命を総合的に考えて人生の折り返しと言える年齢である。人生の後半に入ったとなんとなく考えている。すなわち,人生の時間的展望の逆転である。私は人より長生きする自信がない。なんとなく人より短命な気がする。そんなことを考えるついでに睡眠と活動の関係を考えた。私は睡眠時間は7時間は取りたい。世の中には6時間睡眠で済む人がいる。比較すると毎日1時間の活動時間の差がある。幼少期の睡眠を無視して計算すると,1年で365時間(i.e., 15.21日),10年で3,650時間(i.e., 152.10日),70年で25,550時間(i.e., 1,064.58日あるいは2.93年)の差がある。私がそれなりに生きたとすると,70年では6時間睡眠の人と比較して3年近く活動時間の差がある。だからと言って寝る時間は惜しまない。睡眠時間が短いとパフォーマンスが低下する体なので無理はしない。10月から12月にかけてあちらこちらに旅行しているのは,とりあえず行ける国内で行きたい場所に行き,会える人で会いたい人に会うことにしたためである。思いつく場所には行けたのでとりあえずの満足は獲得しているし,現在も進行中である。
2021-12-02
最近のおすすめ15曲(2021年12月)
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1. Alesso - Scars
湿度が低く感じられる音が好き。
2. Ed Sheeran & Justin Bieber - I Don't Care
MVが雑コラの極み。
3. EVAN GIIA - By My Side
色色な曲を聴き続けていると相対的にこのような曲も良いと思える。
4. Jay Hardway & Lasso The Sun - Like No Other (feat. Jaimes)
イントロからストリングスでこのように奏でられると悪い気はしない。
5. Justin Bieber - Off My Face
Justin Bieberくらいのビッグネームには良い作品を残してくれれば多少のゴタゴタは良いと思える。
6. Joel Corry - I Wish (feat. Mabel)
飛行機で離陸時に聴きたいリズム。
7. JORDY - South Dakota
この曲のような感じであちらこちらの土地をテーマにあれこれ歌える。
8. Luis Fonsi & Daddy Yankee - Despacito (feat. Justin Bieber) [Remix]
スペイン語曲を聴くとその後に語尾を伸ばしがち。
9. NiziU - Chopstick
BTSにでダンスカヴァーを踊って欲しい。
10. NiziU - Need U
あなたたちはオーディナリガールズではない。
11. Nuschi - 5 More Minutes
研究室を訪問したり電話をしたりする時に使う「5分ほどよろしいですか。」で5分にまとめる自信が私にはある。
12. Pitbull Feat. Ne-Yo - Time Of Our Lives
ゆりかごダンスが似合う曲。
13. Riton & RAYE - I Don't Want You
気怠く聞こえるヴォーカルが好き。
14. スキマスイッチ - 奏
大学院の後輩マットのオハコ。
15. 平井堅 - Even If
鍵をかけて♪( ´θ`)/ 終電を超えて♪( ´θ`)/ 時間をとめて♪( ´θ`)/