日本国内の株式取引を長期的運用の観点から学ぶことにした。株式取引の短期的運用(e.g. デイトレーディング)を行うことは,世界的なファンドなどの機関投資家と腕に自信がある個人投資家がコンピュータと経験を駆使して売買を行う世界に入ることを意味する。1000分の1秒未満でコンピュータが行う取引で損益を生み出す世界に初学者の私が参入しても荒波に揉まれるだけである。株式取引のルールは機関投資家と個人投資家では異なる。また,運用する資金と持てる情報と取引に用いる機材は非対称で投資家間で超絶な差がある。私には100億円を動かして相場に影響を与えるような力はない。コンピュータも並のものしか使えない。知人に取締役がいて業界の情報を聞く機会もない。荒波に揉まれる経験も演習のうちだと言う人がいるかもしれないが,それはただの無茶である。理屈としてそれが明らかである以上,私ができることは長期的運用の観点から学ぶことである。初学者の演習として,長期的に保有するに値する株式を選別して現物取引で地道に購入することにした。
今回の株式の演習も心理学を軸にして学んでいる。「学んでいる」と書いたのは,長期的運用の観点で行う演習の株式取引は現在進行形であるためである。どのように心理学的かを書けば,期待値から偏差している状態を奇異だと認識するサイコロジカルライン(psychological line)を基準にするという意味ではなく,個人的確信を活用している。ただし,それは盲信ではない。私は人間を主な対象とする社会科学としての心理学を専門としているが,科学的に検討することで削ぎ落とされるものの重要性も認識している。経済学には効率的市場仮説(efficient market hypothesis)などの株式相場の変動に関わる諸理論があるが,仮定や前提がいくつもあることに加えて補正を行うことで削ぎ落とされることがある。経済学の諸理論はデフォルメーションされた経済の説明なので細細としたことが漏れ落ちる。もちろん,それを誤差として了解するのが学問であるし,アノマリー(anomaly)として想定に組み込むものもあるが,完全なものはない。経済は発展を続けるとか期待収益率が最大のものが選好されるという前提は絶対ではない。今回の取り組みは,科学的であること,言い換えれば,王道的であることによって漏れてしまう部分に着目し,株式取引をする取り組みである。機関投資家が王道の手法で取引する周辺で,ひとりの個人投資家としてフィージブルと考えられるムーヴをすることにした。基礎知識を踏まえた上で「こういうことも良いんじゃないの。」という工夫を行う株式取引である。
株式の銘柄選択には心理学の博士号を取得する中で涵養した能力が役に立っている。情報のレヴュー能力は特筆できる。東京証券取引所市場第一部(i.e. 東証一部)の上場企業を例にすると,企業は各種情報の公開が義務付けられている。そして,それらの情報は誰でも簡単に参照できる。各企業は投資家向けにweb上にInvestor Relations(IR)情報のページを設けている。便利な時代だ。直感的に分かりやすい図表を用いた資料に合わせて各種指標の数値の詳細がイージーに手に入る。電話をかけて直接聞きたいことを聞いても良い。分かりにくいページを作成している企業や,講義に出席せずに概論書のキーワードを並べただけのレポートのような理念を書いている企業もあるが,そのような企業は教養が不足している企業か,優良ではない企業か,投資家を相手にするつもりがない企業か,私の理解が追いつかない企業といったところである。東京証券取引所市場第一部の上場企業は2,000社以上あり,一般的には各種情報は参照するだけでも大変だと言われるが,学術研究をしたことがある人間にとっては数千のデータを参照して検討を加えることは難しくない。必要なことを必要なだけ行うことは学術の基本かつ本質である。私は大学院生時代に当該研究分野の先行研究を全て読んだが,それは基本である。そして,おそらく世界で数人しかしていない,もしかすると,自分しかしていない基本の先にある詳細を検討する行動を信念を持って続ける経験をした。とある図書はファイナルファンタジーシリーズのボスが潜んでいそうな大学図書館の地下の制限区域にある薄暗い書庫に入って汗だくになって掘り出して読んだし,とある論文は日本の他大学の大学図書館にしかなかったので複写依頼を申請して取り寄せて読んだし,外国にしかない図書は取り寄せるのがまどろっこしいので著者に直接連絡してPDFを送ってもらって読んだ(今思えばこれは案外簡単だった)。この経験は非常に有意な経験だった。企業に関する公開されている情報およびその情報の提供方法からいろいろなことが分かるので楽しく情報のインプットを進めた。株式市場は四半期ごとに企業ごとに多少前後する形で情報が増えるので継続的に情報に触れている。「有名な企業だからとりあえず株を買っちゃえ。」みたいなことはしない。YouTubeなどには経済に関する動画がたくさん投稿されており,約1,000の動画を部分的に倍速再生などで一通り目を通した。説明の論理構成の良し悪しや情報の正確性の高低や出演者のキャラクタの煩さなど問題が散在して玉石混交だったが,リテラシで経済のエッセンスを掴むことはできたので良い。とある動画で金融商品取引法の解釈に関する応酬を見かけたが,子どもの喧嘩でも炎上マーケティングでもプロレスでもないのだから,法的な問題は弁護士と司法機関と動画の運営会社に連絡して解決すべきである。
株式取引の方針は,日本はすごいよね,安く買って高く売る,経営破綻しなきゃ良いよ,である。それぞれ具体的に書こう。
日本はすごいよね,という方針は,私の人生の確信である。個人投資家が行うシンプルな株式購入には固有リスク(idiosyncratic risk)をはじめとしたリスクが伴う。そのリスクを心理学と経済学の知見を踏まえて日本はすごいという確信でカヴァーすることにした。私は日本人として36年間生き,たまに海外を旅行し,少しだけ海外で住み,日本は微に入り細に入り優等だと認識している。田舎の山奥や絶海の離島でなければ小売店,飲食店,コンビニエンスストアで色色なものが揃い好きものを食べることができる。便利な国である。外国では主要都市であってもそうではないことが珍しくない。これは国家的特徴である。人の行動も,日本では何かが面白いという情報が共有されるとそのアプリやチャンネルが普及する。よく言われるように「誰がお前の歌なんか聴くんだよ。」と言われるような「歌ってみた動画」の配信や,「誰がそんな下手なプレイを観るんだよ。」と言われるような「ゲーム実況(初見ネタバレ禁止)」の配信や,「何のために踊っているの?」と言われるようなダンス動画の共有をする人がいるが,数人や数十人という零細な視聴者数であってもその動画を配信する人と視聴する人が存在する。悪口を書くにしても,そのような動画を視聴し,せっせと悪口を書く時間がある。そういう人が存在するのが日本である。また,配信する側も視聴する側もそれぞれに時間とディヴァイスが必要で,その時間とディヴァイスを持っているのが日本である。地域の名士が持っているパソコンを近所の人が集まってみんなで使っている,という話ではなく,ひとりひとりがそこそこのものを持っているのが日本である。TVが町に数台しかなかった昭和中期とは違う。日本に生まれて良かったと思う。私は心理学の講義の際に,国や地域によっては当たり前のことが当たり前にできないことがあると説明することがある。ここ数年はお腹弱い系大学教員を名乗ることをやめたが,それでも私は人より胃腸の調子には気を配って生きている。私はこれまで虫垂炎で手術をしたことがある。食あたりで何度か点滴を実施したこともある。発展途上国ではこれらの症状でも悪化して命を落とす。戦後間もない日本であれば新生児の死亡率は高かった。今はその心配はかなり縮小されている。それが日本である。そして,その日本の基盤を支えている基幹産業や関連する企業の株式を中心に購入した。内需株もポイントのひとつに据えた。日本の市場は完全競争的ではない部分がある。護送船団方式という歴史上のキーワードもある。為替の世界では円は低リスク通貨として認識されている。世界情勢が不安定な時に円高になる。それは,日本が経済的に無難な国家だからである。日本が信用に値する国家だと示している。
ただし,日本はすごいよね,という方針であっても,地合い,すなわち,TOPIX(Tokyo stock price index, i.e. 東証株価指数)や日経225(i.e. 日経平均株価)との相関関係が強い銘柄選択を行ったわけではない。それぞれの指標は銘柄選択の恣意性や比率のアンバランスが常に指摘される。また,時の政権に影響を受ける部分がある。「値嵩株」や「主力株」という表現があり,指数寄与度が高い人気銘柄がそれぞれの数値を牽引する特徴もある。だからこそ,時の政権はそれらに有利な政策を採択して株価を上げようとする,あるいは,株価を下げないようにすることがある。加えて,日経平均株価は歴史的に見ると最近ではDJIA(Dow Jones industrial average)との関連が強くなっている。世界と連動する,換言すれば,世界に振り回される可能性がある指数を参照するかどうかは考え所である。「景気敏感株」を対象に世界経済の流れに乗って投資する方法もあれば,それを嫌う方法もある。私は意図的に地合いを踏まえない銘柄選択を行った。短期的投資ではないので日経225の動きから資金の流れを注視して売買を繰り返すといったことはしない。為替と金利の影響は受けるだろうが個人的には気にしない。ただし,結果的に,TOPIX等と連動するような銘柄となることはあった。
安く買って高く売る,は商売の基本なので採用した。私の家系は分かる範囲ではルーツに大阪の商人がいるらしい。私は職業として本腰を入れて商売をしたことはないが,学生時代のアルバイトの経験から商売は好きだし商売に思うところはたくさんある。安く買って高く売ることをシンプルに気持ち良いとも思う。今回のスタンスを貫く際にも心理学の博士号を取得する中で涵養した能力が役に立っている。購入候補銘柄を選定し,変動する株価を毎日参照し,想定する変動の中で理想的な価格になるまで待った。選定した直後に株式を購入することもあれば,選定後に数週間待つこともあった。理想的な価格になる前に上昇を続けた銘柄は購入せずリストから除外した。volatilityは株式取引の醍醐味のひとつである。経済の概論書を紐解くと,株価の変動が取引を活発にしていることが分かる。高止まりしている株は取引されずに出来高が低下する。昨今の情勢では株価と業績の変動が大きいのでPER(price to earnings ratio)やPBR(price to book-value ratio)の算出が困難なこともあるが,その中で推論したり推測したりするところに面白さがある。同様に,理想的な価格になれば株式を売却した。取引は現物取引のみ行った。信用取引はこのようなムーヴはとてもではないができない。また,これはあくまでも演習である。本業として稼げるだけ稼ぐ取り組みではなく,副業としての錬金でもなく,資産運用の入口を入ってすぐのところで株式取引を経験しているだけである。
経営破綻しなきゃ良いよ,という方針は長期的運用のポイントである。多少の株価の変動は気にしない。機関投資家は運用益を確保する必要があるので売買によってお金を動かす必要があるが,私は私の都合で演習しているので放っておいても良い。株式を購入することで経済に対するコミットメントを高め,当該企業や関連する業界がどのように変わるのか,そして,どのように世の中に影響を及ぼすのかを見る楽しみになるのであればなかなか味のある社会見学である。配当があればラッキーくらいに思えば良い。配当でも利子でも「気づいたら口座に入っていた」くらいの認識で良い。そもそも運用する金額が小さいのだから配当も些少である。同様に,株主優待があるなら勝手に送ってくれれば良い。元プロ棋士の桐谷広人七段は株主優待をテーマにした農耕的優待株投資を提案しているが,私はその観念は参考にするが株主優待は主軸にしない。株価が高騰すれば売却して利益を獲得するのも良い。株価が下落を続ける銘柄があっても経営破綻しなければ良いのでそのまま放っておけば良い。なぜなら,その企業は大丈夫だという確信が私にはあるためである。万が一,経営破綻となっても,この企業が潰れることがあるんだ,残念でした,と日本の歴史の1ページ,あるいは,1文節,あるいは,1単語,を見届ければ良い。有限責任であるから株式取得にかかったお金がなくなるだけの話だし,上場廃止となるにしても株式取引は一定期間継続されるので終焉間際の1株10円や1円で投げ売りする貴重な経験もできる。銘柄にヴァリエイションを持たせることで保有株式が同時多発的に価値がなくなるリスクは分散してある。
これらこそ地道なプラクティスである。為替の演習では体験し得なかった演習そのものである。これらの質がよければグッドプラクティスとしてその後も有意なものとなる。
演習の結果,税引き前で世界一周旅行ができる資産が増えた。ただし,時価の話なので今この瞬間に評価額がいくらになるか分からない。演習なのでどこかで区切りをつけることは考えている。
株式取引で獲得した知見をいくつか書く。東京証券取引所市場第一部の総取引時間は健康的に売買できる時間だと個人的に思う。東京証券取引所市場第一部は午前(i.e. 前場)は0900から1130まで,午後(i.e. 後場)は1230から1500までの取引となっている。取引時間の合計は5時間だが,それ以外の時間にもニュースや指標を参照する時間が必要で,これくらいが妥当と思う。ただし,先物取引や外国市場の取引を合わせて行う人は長時間の取引となる。私はこの夏から昼食の時間を1130にした。それは,取引時間とリンクしている。投資家の生活リズムがどのようなものかを体感できる時間である。板の寄付を眺めると人がプレイするゲームを見ている感じで面白い。自分の注文が約定すればさらに面白い。大引けの取引の集中も面白い。東京証券取引所の売買システム「arrowhead」は大引けに限り更新値幅が広く設定してあり変動があって面白い。私は株式取引はルールの中でいかに利益を最大化するかというゲームと見なすことが可能だと認識している。建玉の駆け引きや競争的反応時間の勝負と言える点がある。この辺りは学術と同じで,突き詰めると浮世離れしてくる。物理学研究は肉眼で見えない議論が久しいが,その説明は具体性があってないような世界である。生物学研究では実験動物の首をナイフで切り落とす作業があるが,研究室の大学院生などは最初は抵抗を示すが慣れた頃には食事の話をしながらスパスパと切るようになる。株式取引は企業との契約であり企業への支援であるが,取引の究極は浮世離れしたマネーゲーム的である。東京証券取引所の取引は一般的な祝祭日や盆休みがないことも知った。沖縄も一般的な盆休みがないのでリンクしている。さらに,Prof. Harry Markowitzのポートフォリオ(portfolio)の研究やProf. William SharpeやProf. Myron Scholesの業績を参照しながら,研究業績を公刊することと長生きすることは重要だと再確認した。研究をしても公表しなければこの世に存在しないとみなされる。また,物理学も経済学もノーベル賞を筆頭にした著名な賞は生きていなければもらえない。私は現在,琉球大学では稀有な心理学に積極的な学生と共同研究をしているが,手持ちのデータをどのような形で公表するかを打ち合わせる機会がある。学生の場合はキャリアの変動が早いのでタイミングが重要だ。加えて,諸諸の株式取引に関するシステムの精度に感心した。株価を参照するにしても,企業情報を参照するにしても,非常に簡単で分かりやすい。
投資やファンドという意味ネットワークが活性化し,「物言う株主」というキーワードから私が助教時代に「物言う助教」と同僚から評されていたことを思い出した。批評性を重視する私は広島大学に所属していた時に下請けのような業務や慣性で継続している業務に批判的だった。そして,教授や准教授の言いなり的ムーヴとは一線を画す行動を採択することから同僚助教からそのように呼ばれていた。講座に助教が5人もいればひとりくらい偏差していても良い。広島大学はそれを許容する懐の深さがあった。
演習なのでどこかで区切りをつけることは考えているが,長期的運用の観点から行っていることに加えて株式取引は面白いので今後も趣味として継続する。私は気象でも株式でもショッピングモールの駐車場使用率でも売れないアイドルの発言でも,実数や統計値や詰めの甘さを継続的に見ることが好きだ。継続的に見ることで何がいつどのように動き出したのかを検討できる。
いろいろ書いたが,端的に言えば,情報を一気に調べて株式を購入してのんびり見守っている,という話である。お金は目的ではなく手段である。為替と同様に複利(compound interest)的な運用をするつもりはないし,金額的には世界一周旅行ができると言ってもまだまだできたものではない。何かに使うか旅行できる時まで貯めておこう。