沖縄はやっと涼しくなった。11月は南風が吹いたり日差しが強かったりで日中汗ばむことが多かった。毎年そうだが11月でも沖縄では夜間にエアコンをつけて眠る日がある。最近北風が強くなりやっと涼しくなった。沖縄では秋から春にかけては南風が吹けば暖かく湿った空気が入り,北風が吹けば冷たい空気が入って曇りやすい。特徴的なのは冬の北風で,その強さに応じて体感気温が大きく変動する。北風が弱ければ晴れて体感では暖かい日になりやすく,北風が強ければ風の強さに加えて曇って日差しがないので体感気温が一気に低下する。上空に寒気がある時はこの特徴が際立つ。風と日差しが分かるようになれば沖縄の気候は把握しやすい。最近はやっと最低気温(最高気温ではない)が20℃を下回るようになった。涼しくなったので沖縄そばを食べた。美味かった。やっと涼しくなったと言っていたらもう11月が終わる。
PROFILE
淡野将太です。専門は心理学です。琉球大学で准教授を務めています。
Syota TANNO Ph.D., Associate Professor, University of the Ryukyus, Japan.
Curriculum Vitae
淡野 将太 (2025). 小学校における宿題と成績の関連から指導と評価を考える 指導と評価, 843, 56-57. (Tanno, S. (2025). Homework, academic achievement, guidance, and evaluation in elementary school. Educational Evaluation and Guidance, 843, 56-57. In Japanese.)
Tanno, S. (2024). Sabbatical experiences and beyond: Enrichment and integration in psychology research and education. Bulletin of Faculty of Education University of the Ryukyus, 105, 71-74.
2020-11-26
iCould 2TBとApple Oneを始める
主力デヴァイスとして使ってきたiMacが古くてそろそろ潮時である。起動時間は日に日に長くなるしクリックやタップが効かない事象も増えてきた。古いのでOSはMacOS Big Surにアップデートできない。
そこで,Apple Silicon「M1」搭載のMacBook Proを新しく導入することにした。MacBook Proを2台,MacBook Airを1台,iPhoneを1機使う4デヴァイス体制となる。iMacは追って処分する。
それに先立ってiCloud 2TBとApple Oneを始めてデータを整理した。昨今のAppleはデヴァイスの初期設定ストレージ容量を小さく設定していて,データをクラウド化しろと示唆している。私はその示唆に同意してiCloud 2TBとApple Oneを始めた。iCloudはこれまでも利用していたがストレージを2TBにしてオーディナリなデータ運用に関して憂いはない。音楽を同期するにはApple Musicを利用する必要があるということだったのでこの機会にApple Oneにも加入した。
写真と音楽のアップロードはまとまった時間を要した。iMacの処理速度の遅さが影響している。写真は40,000枚(200GB)以上の写真と動画をアップロードした。これにはiMacの電源を入れたままにして50時間かかった。順番に処理を行っているのか写真のアップロードが完了した後に音楽がアップロードされた。音楽はiTunesにあった1,000枚(500GB)以上あるライブラリをアップロードした。これにはiMacの電源を入れたままにして30時間かかった。データ量と時間が相関しないのは不思議だが私にはその理由を知りようがない。なお,デヴァイスの電源を入れたままで写真を起動していない状態の時に処理が行われる「ピープル」の検索は,デヴァイスが4つあることが影響したのかそれぞれの電源を断続的に入れたり切ったりしたことが影響したのか通算で2週間かかった。諸諸のデータ同期に際して途中困難を感じてAppleに電話で相談するなどしたが最終的には無事にデータ同期を完了できた。音楽を聴きながら写真を整理すると数十時間は遊べる。私がデータとして持っている最古の写真は学部生時代にデジタルカメラで撮影した写真だが,今を生きる10代は最初にスマフォを購入した瞬間から日常的に写真を撮影しまくっているはずなので私の年齢になる頃には数十万枚の写真データが残るはずである。
Apple Musicでは音楽とミュージックヴィデオがあれこれ試聴できるので生活が音楽で彩られている。心理学ではPsychoactive drugsという気分や行動に影響を及ぼす化学物質の分類があり,日本で合法なものでは酒やタバコが,違法なものでは大麻などの植物の葉や覚醒剤や合成麻薬などの粉や液体などが該当する。音楽は化学物質ではないのでドラッグではないが,私は音楽は大好きで聴くと気分が高まる。Appleは連綿と音楽を主力コンテンツとしている関係で何につけても使いやすくて良い。ミュージックヴィデオは世界のアイコンを目にする機会にもなるので世界旅行のインスピレイションになっている。
Apple OneでApple TV+も試聴しているが,飽きる予感がする。サブスクリプション系の動画配信サーヴィスは私のような凝り性は興味があるものを一気見をして終わりである。めぼしいものを探したらEwan McGregorがバイクで世界を旅するドキュメンタリが3シリーズ(i.e. 2004年のLong Way Round, 2007年のLong Way Down, 2020年のLong Way Up)あったので全て試聴した。これも世界旅行のインスピレイションとなった。試聴していると,Long Way Roundでは同行するカメラマンが旅行開始までにバイク免許の取得に間に合わないとか,Long Way Upでは電動バイクが寒さで思うように動かないという外国らしい準備不足があって呆れながら笑いながら試聴できた。ただし,この点は馬鹿にできない。研究では人種によってセロトニントランスポーター遺伝子が異なることが示されており,旅行を楽観的に計画できるのはある意味では関係者たちの才能である。また,全てのシリーズで悪天候や悪路で何度も転倒したりバイクを故障させたりしながらしぶとく旅を続ける様子からEwan Mcgregorはファッションでバイクを乗っているのではないことは分かった。ちょっとした修理は自身で行い問題を解決していた。タフガイである。また,旅を始める前にはサヴァイヴァルのレクチャや賄賂の使い方のレクチャを受け,実際に賄賂を使ってうまく旅する様子も本当か嘘かは別として収録されていて興味深かった。私は30歳で二輪車に乗ることをやめてAQUAを購入したが,ポイントでレンタルしてツーリングをしたいとは思っている。
Apple OneではApple Arcadeも利用可能でゲームを無料で楽しめるが現状では何もプレイしていない。10歳の私なら友人とあれこれ競い合い教え合い楽しんだだろうが,今更おじさんが要領も分からないゲームをひとりで始めても上手く遊べず虚しいだけである。
iCloud 2TBとApple Musicの影響でこれまでに人生で集めたCDはいよいよ荷物と化してしまった。音質を重視してCDと高音質スピーカで拘って音楽を聴くということは今の生活ではない。CDは総額百万円以上するので捨てる気にはならないが,質量が重い荷物である。引越しの度に奈良,広島,島根,沖縄と帯同してきたが,これから先も連れて生きるかどうか。CDの音質をダウンロード音楽が凌駕する日も遠くない。デヴァイスの種類によるが今でも簡単にEqualizerで音を調整できる。Apple Musicがあれば興味があるジャンルを適当に聴き流せば好きな曲が見つかる。これまでは日常生活の中で耳にした曲をせっせと検索してCDを購入したりダウンロードしたりしていた。そのパタンも曲検索アプリが登場してから変化はあったし,これから先もその行動は無くならないだろうが,Apple Musicがあれば私の好みに合わせて曲が更新されるし,特に気に入れば直感的操作ですぐにライブラリに追加できる。lyricsも簡単に参照できる。ああ,良い時代だ。
2020-11-23
人工の街路樹
ウォーキングをしていて人工の街路樹がないものかと思った。街路樹は夏は生い茂り冬は落葉することで季節感を演出するとともに歩行者の涼と暖を助けると聞く。だが,手入れが大変だ。街路樹の剪定には作業員が必要だし,その作業員は交通や電線に配慮する必要があるし,道路は渋滞となることがある。数年前,夏の盆休み直前の金曜日に国道330号線の並木の剪定作業が展開されていた。そもそも混み合う330号線は盆休みを組み込んだ連休を沖縄で過ごす旅行者のレンタカーに加えて車線規制で大渋滞になっていた。日を選ばないのが沖縄である。台風の際には枝が折れたり木自体が根こそぎ飛んだりする。落葉すれば掃除する必要がある。花が咲く場合は道路や歩道が花の蜜や色で汚れる。人工の街路樹を採用すればこのあたりの問題を制御することで解決できそうである。ウォーキングをしながらそんなことを考えた。ただ,私も人生経験を積んで,このあたりの問題が問題であり続けることが重要な場合があることを認識している。諸諸の手間が雇用を生み出しているのは事実である。また,この問題はちょっとした工夫で容易に解消できるので為政者の業績として見込める案件である。さらに,人工ではないから良いことは多分にある。人間の営みとは独立的なところで何かが動くことで人間は心安らいだりインスピレイションを受けたりする。とりあえず一通り調べてみたが,人工の街路樹実験のような試みはなさそうである。Singaporeに知見が蓄積されていそうだがどうだろうか。
2020-11-19
つけ麺
学生に推されてつけ麺を食べたら美味しかった。学生とつけ麺屋を訪れ,ラーメン好きな私はラーメンを食べようと考えていたが,学生に叱責レヴェルで「将太先生,この店では絶対つけ麺を食べるべきです。」と言われたのでつけ麺を食べた。美味しかった。最近知ったことだが,つけ麺のつけだれは出汁で割って飲める。私はラーメンでも沖縄そばでもスープを重視する。その点ではつけだれを出汁で飲めることは嬉しい。大変よろしい。まあ,出汁で割らなくても飲むが。今回の感心がつけ麺を食べ回るきっかけになるかもしれない。
2020-11-16
県外旅行の総括
県外旅行の総括をする。非常に楽しい旅行だった。
人と親睦を深めることができた。親戚や教え子や友人との会合は楽しかったし,プロゲーマーに会えたのは光栄だった。
少ない手荷物での行動は成功した。日本では街場であれば出先で物を調達するには困らない。知性と信用と小銭があれば荷物は少なくて良い。バッグを持たない場合はポケットは便利である。私は胸ポケットをつけたオリジナルデザインのシャツをオーダーしてファッションを楽しもうと考えている。私のジャケットルックについていろいろな人が似合っていると言ってくれたが沖縄では出番はない。
食に合わせてお酒を飲む方法も馴染んできた。食中酒としての醸造酒にこだわりたくなってきた。お酒と並行して旅先で水をあまり飲まないようにした。水は吸収効率が低い。炭酸水やお茶で水分摂取をすることを心がけた。利尿作用が強いと言われるものの私としてはコーヒーの吸収効率が良いと感じているので1日2杯までならコーヒーも許容している。3杯を超えると睡眠に支障が出るので控える。
この旅行で人と話をする中で「普通」や「一般」というものは呪いのようなものに思えてきた。直感のレヴェルでもわかるように「普通」や「一般」は統計的の話であって実在しない。「標準的な体系」とか「一般的な水準」という表現は統計ありきの表現である。それを過剰に意識すると「普通」や「一般」との偏差に悩んだり個人間でいがみ合う構造が現前化する。
奈良で接客を受けて奈良弁を実感した。今まであまり意識したことはなかったが,奈良の関西弁はイントネーションやアクセントに特徴があった。「大阪LOVER」を繰り返し聴いた旅行だったので大阪弁と奈良弁を意識する認知的構えが構成されたのかもしれない。私は奈良県生まれ奈良県育ちで22歳で奈良を離れた。関西弁は「なんでやねん」「おおきに」などの固有の言葉はあるものの,沖縄の島言葉よりは分かりやすく,基本的には文章の語尾や単語のイントネーションおよびアクセントの特徴が優位だと考えている。そして,関西弁をそれこそ「標準」に「矯正」した人の言葉を奇異に感じるという理由から私は広島でも島根でも沖縄でも特に変わらず口語を運用してきた。話すうちに私の関西弁が転移して関西弁を随所で使う人もいるが,だから何だという話である。
旅行をしながらこんなことを考えた。今の職では割り切って国民に知見を提供するという観点に立つことも必要かもしれない。奈良のJR万葉まほろば線の各駅停車に乗車していた時のことである。乗降する地元の高校生をたくさん目にした。沿線にある複数の高等学校の下校時間だったようだ。生徒が持つ鞄に記載された学校名を見て,そう言えばそんな高校あったな,と思い出した。昔も今も奈良盆地にある以外に特に特徴がない学校である。社会制度の変革があっても,科学技術の進歩があっても,学校の統廃合があっても,これから先もこのような状況は再生産されるのだろうと思った。琉球大学の学生と乗降する高校生が重なって見えた。そして,そのような人人に伝わる形で教育をすることも重要かもしれないと思った。大学にいると国家官僚などの「国民に知見を提供する」というスタンスと発言を見聞きする機会がある。これは,こちら側とあちら側の境界を強調することを含意する。大学教育は教育する者とされる者の境界がなくなることを本質としていると私は認識している。しかし,最近は,学生の教養の涵養を期待することは非常に困難であると痛感している。学生に伝わる易しい形で知見を提供するよりないのかもしれないと思うようになった。大学では教育は最小限にする研究者は少なからずいる。私は教育心理学が専門なので教育にコミットしすぎたのかもしれない。
「Go To キャンペーン」の恩恵を受けた旅行は10万円以上得をした。このようなキャンペーンは使える時に使った方が良い。急に終わることもあるし情勢に応じる形で使えなくなることもある。これからもチャンスを積極的にものにする生き方を採用する。
OMEGA Seamasterのベルト問題は,次に東京などに行く際に事前にSweissの本店から3週間かけて細いベルトを取り寄せておき,サーヴィスセンターで交換してもらうことにした。街の時計屋や服の直し専門店を訪れてベルトの穴開けが可能かどうか確認すると革ベルトは可能だがラバーベルトの穴開けは困難で受け付けられないと回答を受けた。私の腕の細さのせいで地味に手間がかかる展開となってしまっている。銀座本店に行った時には細いベルトはあるが,Sweissの本店からベルトを取り寄せるために3週間かかると言われて長いと思った。また,ベルトのみの販売は不可能でサーヴィスセンターでの取り替えまでがセットになっている。保証の観点からそうなっているが,沖縄に住んでいると再訪するにも時計を発送して取り替えてもらうにもコストが大きい。王道のオプションはこれしかないので次の旅行でそうすることにした。
本州ではサングラスを着用する人がほとんどいなかった。横浜,東京,名古屋,奈良と旅行して改めて認識した。私の目は光に敏感である。そして,私はサングラスを多用する。沖縄ではサングラスを着用する人が類比的に多く街の景色に溶け込めるが本州ではそうではない。
COVID-19の対応は都市やホテルやレストランで様様だった。私は心理学が専門で,人人のビヘイヴィアを参照して思索する。何度か言及しているようにCOVID-19そのものよりもそれを取り巻く人間模様の方が私は怖い。だが,同時に,興味深くもある。感染症を取り巻くリテラシ不足を主な理由とする人人の他罰的行動も怖いし,張り紙などに書かれた感染症対策に関するなんだかよくわからない文章が氾濫していることも怖いし,それ自体が感染症対策としては非合理的な対策も怖いが,それが人間である。それぞれに行っている感染症対策は「どこまで本気なんだよ。」と思うようなものもある。
ブログを読んだとっしゃんからは「薄っぺらい自分たちのやり取りをブログにどのようにまとめるか気になっていたが,上手いことまとめたな。」と好評を得た。社会的事象を文章で具体化したり抽象化したりすることは私の本業なのでイージーである。
また,人生は好機を逃さないことが重要であり,恋愛であれば「ワンチャン」をものにすることも時に重要だとブログに書いたら,ネットで知り合い会ったその日に「一発ヤ」ってそのまま付き合っている友人カップルがいるという話を学生が教えてくれた。でーじじょーとー。
この旅行ではDREAMS COME TRUEの「大阪LOVER」とYOASOBIの「群青」をよく聴いた。やはり思い出と音楽の連合は強い。
旅行を終えて,もっと貪欲に生きていこうと思った。興味がある研究はやり切った,ギャランティは良いとは言えないが悪くはない,経済の演習で資産運用能力も身につけた,社会に対してメッセージしたいことはブログで書いている,そのような感じで人生を穏やかな方向にシフトして生きてきた。将棋の渡辺明名人の言い方で言えば,自分の残っているお釣りでどのように生きようかと考えていた。別に私は偉業を成し遂げたわけではないのでお釣りだとすると矮小である。適性や努力や才能を議論するときは生まれ持った才というものを念頭に置く関係で私は誰もが偉業を成し遂げられるとは思っていない。そして,現状では私の人生は別に悪くないと思っている。だが,もっと動的に,意欲的に,貪欲に,生きていこうと思った。東京で元気に暮らす教え子を見て,将来の展望が定まらない世界に身を置くプロゲーマーに会って,まだまだキャリアがプラスティックな同級生Oと話をして,幼馴染の旬なものへの反応性を見て,夜遊び上手な教え子に感心して,画伯の生き様に触れて,母と地元奈良の話をして,とっしゃんと諸諸の話をして,そう思った。沖縄で,どうしてそんなに図図しいんだと思う人間をたくさん見てきた経験がそう思わせた。もっと食べたいものを食べ,飲みたいものを飲み,行きたいところに行き,会いたい人に会い,やりたいことをやることにした。
2020-11-12
奈良へ
奈良に行った。名古屋から奈良へ近鉄とJRを乗り継いだ。
新幹線と同様に近鉄特急に乗るのも久しぶりだった。当初は高速バスで名古屋から奈良へ移動する予定だった。始発の名古屋駅から終点のJR奈良駅まで乗っていれば良いので楽である。時間的には新幹線とJR在来線を乗り継ぐ方が早いが大きく変わらない。だが,予定を柔軟にする観点から高速バスの予約を前日まで引き付けたが,前日に予約しようとすると予約期限が終わっていた。このあたりが高速バスらしい。この機会に久しぶりに近鉄特急に乗ることにした。「特急ひのとり」という大変調子が良い特急が走っていることを初めて知った。近鉄名古屋駅から近鉄大和八木駅まで特急ひのとりに乗り,近鉄大阪線で近鉄桜井駅に戻ってJR万葉まほろば線に乗り換えてJR奈良駅に向かえば良い。こうなれば時間や経路の合理性など関係がなくなり,特急に乗車することが目的かつ旅行の楽しみのひとつとなる。値段も関係ない。先頭車両の最前列を確保し,眺めを満喫した。同じような目的と思しき人が何人か先頭車両に乗車していて心地よい緊張感があった。
ホテルはホテル日航奈良に宿泊した。奈良ホテルに宿泊したかったが秋の奈良ホテルは予約が取れなかった。奈良県の肝煎りで誘致したJWマリオット・ホテル奈良は空いていたが,わざわざ不便な奈良市役所前のホテルに泊まる理由はない。ホテル日航奈良は築年数が幾分か経過した出張利用や団体利用向けのホテルだが,その分だけサーヴィスと朝食が洗練されていて奈良を満喫する一助となった。奈良県で生まれ育った身としては奈良の良さを自覚しにくいが,ホテルに点在する奈良を演出するインテリアやホテルの食事で供される奈良の野菜や奈良漬や粕汁や柿の葉寿司を食べると旅情が際立つ。生まれ育った奈良は親しみがあるし良い街だと思うし街を歩く鹿は可愛いが,改めて住みたいかと問われると微妙で頼まれれば考えても良いというくらいの認識である。新幹線駅も空港も主要高速道路も遠いので旅行好きには不便だ。
高校の同級生である通称「画伯」に会った。画伯は美術の知見について折に触れて教えを乞う相手である。奈良町にある「うとうと」という非常にレヴェルの高い予約制の店で会食した。知人の家で食事する趣だと聞いていたがその通りだった。お酒はビール以外は自由に持ち込むスタイルだったので奈良町の酒屋で奈良の地酒を買って持ち込んだ。奈良の食材を存分に活かした料理を満腹まで堪能した。画伯からは受容性の重要性を学んだ。画伯は私の話を否定せずに聞く。私はFranceでVincent van Goghの絵を観て,単調なテクニックを用いた自己主張の繰り返しと直感して「生前にゴッホの絵が売れなかった理由が分かった気がする。」と現地から速報したら,批判することなく受け止めてくれた。また,ここ数年普及した,成人男性の肩掛け鞄という表現しか思いつかないサムシングや,小学生のお小遣い当番みたいな首からかけるサムシングについて,トレンドを後ろ盾にすることが目的のようなファッションは見ていて面白くないと評したら笑って聞いてくれた。画伯はこの日,東大寺の幼稚園で担当している絵の仕事を終えて私と合流した。奈良らしさが強い。同級生Oの父親の格言に関する話になった。その父親は,お金を貯めるのはイージーだがお金はいかに使うかがポイントだ,と言ったらしい。なるほどと思った。私も考えようと思う。私は何かデザインをオファーする機会があれば画伯にオファーしようと考えていたが,オンデマンド的デザインは受け付けていないと言っていた。自身の思考や感覚などを絵画表現することを志向しているのであって商業的普及を志向しているのではないらしい。
母と奈良ホテルでランチを食べた。実家は家具が古いので私はほとんど帰らない。母を沖縄に呼んだり一緒に旅行したりすることが多い。奈良を旅行して奈良の良さを再確認できていると話をしたら,母も同意していた。母の幼少期から現在まで,奈良県の子どもは遠足や校外学習で寺や神社や史跡を訪問するパッケージが連綿と継続されているが,それらは贔屓目に見ても子どもには面白味がない。何なら,その寺や神社や史跡そのものよりも,敷地内で過ごす自由時間に友人と遊んだ鬼ごっこなどが思い出として強いことは珍しくない。長じて後に普段から何気なく親しんだ,あるいは,親しむという認知的処理などしないレヴェルで接していた建物などが文化財としての価値があり,人によってはそれを拝観することを主目的として旅行したりすることがあることを知って幾分かありがたみを実感することはある。
親友のとっしゃんに会った。旅行前には奈良ホテルのディナーのコースを食べることを構想したが,奈良ホテルは営業時間の調整でディナーの予約が変則的になっていた。その変則に無理に合わせてまで食べることはないので,奈良ホテルはランチユースにして,そのランチは母とともに食べた。そして,夕食はフルコースは回避するという流れから菊水楼のうなぎ料理屋である「うな菊」でうなぎのコース料理を食べた。私は名古屋でうなぎを食べたが,うなぎをおかわりする方略である。実は,今回の旅行で私はうなぎを食べ比べたいと考えていた。東京,名古屋,奈良で食べ比べれば面白いことが発見できそうである。そのため,東京の老舗でうなぎを食べることも夢想していた。だが,タイトなスケジュールを組まない私には時間に限りがあるとともにボディ的にも限りがあり,東京ではうなぎを食べるチャンスがなかった。奈良でめぼしい夕食処を検索するとうな菊があったので選択した。とっしゃんとは普段から連絡を取り合っているので直接会って何を話すかと言えば,人生で重要だと思われる案件の詳細を話すこととなる。「淡野,お前の研究室運営はどないなっとんねや?」と聞かれた。私の大学における教育のコミットメントが小さくなり,研究室への学生受け入れも間口が狭くなったことを指摘された。私はブログに書いた通りだと説明した。手応えのない教育ほど寒いものはない。卒業研究という名ばかりの学生指導は単純な消耗である。専修の方針がソフィスティケイティッドなものにならない限り私は現在のスタンスを変えないし,管理職の教授にも伝えてある。琉球大学は大学であり専門学校ではない。他には,とっしゃんの持ち家の話や職場の同僚のクソムーヴなどを面白く聞いた。猿沢池のほとりにあるStarbucks Coffeeに移動し,話を続けた。話したいことは山ほどあったが,互いに夜更かししてまで話す年齢でも行動特徴の持ち主でもないので閉店時間を区切りとして話し足りないことは次回会った時にすることにした。徒歩で一駅分歩いて帰ると言ってとっしゃんは夜の奈良を歩いて行った。
奈良を後にして関西空港から那覇空港に飛び,旅行を終えた。関西空港の飲食店などのショップは多くが休業していた。国際線チェックインカウンターが並ぶフロアは閑散としていた。
2020-11-09
愛知へ
愛知に行った。東京から新幹線で名古屋に向かった。
飛行機を使う生活に慣れると新幹線に感心する。座席の価格の安さと座席配置のゆとりとダイヤの正確さに感心する。混んでいようがいまいが価格は同じである。時間帯によっては早期予約で安くなるが基本的には直前でも価格は同じである。グリーン車料金も安く感じられる。また,シートピッチも広くストレスが少ない。さらに,正確なダイヤに心底感心する。秒刻みなので当然だ。沖縄で生まれ育った人が東京や大阪での生活に適応できずに帰省する事例は山のように報告されているが,ひとつはこの緻密さへの不適応が原因である。新幹線と言えば,東海道新幹線および山陽新幹線ではのぞみの新横浜名古屋間のみが穏やかな時間である。東京を出発して品川と新横浜に停車する前後は列車の挙動も車内の人の動きも慌ただしい。同様に,名古屋以西では京都,新大阪,新神戸に停車する前後は列車の挙動も車内の人の動きも慌ただしい。上り下りでもことは同じである。お酒を飲んだ人や弁当を食べた人は新横浜名古屋間で眠りがちである。山陽新幹線となるとトンネルだらけで車窓からの景色が楽しめないし気圧変動との戦いで一苦労である。
教え子に会った。食に重きを置いている最近の私はうなぎを食べたいと連絡していた。教え子が著名な店を事前に予約してくれた。予約して間もなく,店側はうなぎは捌いてから焼き上がるまでに30分を要するのですぐに食べたい場合は事前に連絡するよう伺いをたててきた。大変よろしい。想定されることを顧客に伝えて最善手を追求する姿勢である。飲んでつまんで話をすれば30分は一瞬なので問題ないと回答してもらった。そして,実際,うなぎの多種多様な部位を食べながらお酒を飲んで話をした。名古屋に来る前に横浜と東京で何をしたとか近況はどうだという話をした。広島大学では誰誰などの世代が助教をしているという話にもなった。その間にひつまぶしを注文して話を続けた。同級生が結婚したとか謎の仕事をしているという話をしていたらあっという間に提供された。そのひつまぶしは人生で一番美味しいと感じたうなぎ料理だった。表面は香ばしく中は弾力を残しながら柔らかく焼き上げられていた。ひつまぶしはうなぎをひつにまぶしてお茶漬けなどにして食べる手法を導入することでお茶を濁した少しセコい料理だと思っていたが,うな重とは異なる趣で焼き上げたうなぎは食べ方をアレンジしながら楽しむ料理として成立していた。その後,名古屋マリオットアソシアホテルのバーで飲んだ。地上200mの絶景を有するバーが気軽に楽しめた。お酒を飲みながらケーキでも食べようと思っていたが,ジンフィズというシンプルだが爽やかで甘さも楽しめるカクテルの美味しさを知ってそれを何杯も飲んで満足した。教え子はお酒に詳しい。行きつけのバーも確保している。その日の気分や感情や体調を言語化してどのようなものを飲みたいか伝え,それを既存のカテゴリから選択し,あるいは,そのカテゴリを超越するアレンジを施した飲み物を選択し,ナイトライフを楽しんでいる。私はこれまではビールとシャンパンとワインくらいしか飲んでこなかったので勉強になった。教え子は私から影響を受けたことが少なくないと言っていた。そんな私は同級生Oから影響を受けたことが少なくない。会うことはないだろうが同級生Oと話は合うかもしれないという話になった。
幼馴染に会った。クラフトビールを飲み,名古屋コーチンの焼き鳥を食べ,最後は「最近名古屋テレビ塔周辺がええんやで。」ということで名古屋テレビ塔の下でタピオカを最大まで増量したタピオカドリンクを飲んだ。幼馴染は国家公務員一種として勤めた後,転勤を回避する観点から市役所で勤めている。仕事の話を聞けば,前職とは比較にならないくらいイージーで,仕事の主要な部分は人間関係の維持調整が占めていると言っていた。私は同意できた。地方の国立大学法人に所属していると,業務分担のフェアネスなどに砕身することが珍しくない。心理学の講座ではない文脈では各教員の専門性などほとんど関係がなく,業務では学術用語など全くと言っていいほど出てこず,気を遣い合うおじさんやおばさんの集団といった趣である。その気遣いは,対面する研究者が特定の領域の専門家であることに対する尊敬に起因している。この尊敬がなくなると面倒となる。私が大学院に入った頃にはすで博士号を取得して当たり前の時代だったが,実際に大学教員として勤めると博士号を取得していない人がたくさんいる。教育学部が実務家教員の比率を上げていることが影響している。誤解のないように書いておくが,私はそれを悪いと言っているのではない。また,先日大学院時代の先輩と電話をしたら,日常はもはや事務員が行うような仕事に追われていると言っていて私も思い当たる節があった。結局は地方の国立大学法人の大学は時間もお金もないので,しんがり的ムーヴをいかに充実させるかが仕事となる。そして,充実させることなど考えず,文部科学省的にはこのような方針があり,本学あるいは本学部はそれに追従するよりなく,やむなくこれを果たしましょう,と言って淡々と運営や業務を展開する方が合理的である。一国一城の長的なプライドで何か特色を出そうとすると仕事を増幅させるだけで邪魔なことが多い。実際,声が大きな教授が退職した後に何事もなかったかのように制度が均されて物事がスムースに動くケースを私は何度も目撃してきた。さて,幼馴染と話をしている中で経済の話をした。ふとしたきっかけで経済の演習をしたことに言及すると,為替と株について嗜んでいると提示してきた。評価額が思うように上がらないと言うので詳細を聞いてみると,余力が小さいことが影響していた。為替と株の投資に関する典型的な失敗例に一致した。資金が少ないと売買を繰り返す必要が出る。別の幼馴染が島根県の海士町に住んでいるという話になった。私は10年ほど会っていない。焼き鳥を食べながら電話してみると,遊びに来いと言う。仕事の都合から春なら時間が取れると言っていた。来年の春に遊びに行くことになった。私は島根県の松江市に2年間住んだが,隠岐は行ったことがない。楽しみである。結構高価な焼き鳥だったが頑なに払うと言われたのでそこは払ってもらった。
名古屋から奈良へ向かった。子どもの頃から乗り慣れた近鉄電車に乗った。
2020-11-05
東京へ
2020-11-02
神奈川へ
神奈川に行った。神奈川の横浜へ羽田空港から向かった。
羽田空港に向かう飛行機内で著名人を見かけた。羽田発着のフライトでは著名人をたまに見かける。隣に座ることもある。東京は社会で活躍する著名人が往来する都市だと再認識する。また,離着陸の際に工業地帯や都心のビル群を眺めて「よくぞこんなにも建築したな。」と人間の営みに感心する。街中で離着陸する点で言えば伊丹空港のフライトに搭乗した時によりその点は強く感じる。そして,伊丹空港は沖縄の諸諸の飛行場より危険なこともあると思う。
羽田空港に降り立ち,乗り換え案内サイトの検索結果の言いなりになって横浜に向かった。相互乗り入れが盛んになった今ではとてもではないが路線図を見て乗り換えができるものではない。遅延などのリアルタイム情報にも対応できるのでweb検索が確実だ。実際,駅員に乗り場などを質問すると,乗り換え案内アプリを使った結果を参照して案内してくれることがある。
横浜で親戚に会った。建築士をしている親戚から建築の話を聞いた。私は2年後を目処に世界一周旅行を計画している。その際には世界の建築訪問を目的のひとつにしようと考えている。面白そうな建築について尋ねると,鈍器になりうる構造設計の大著や写真集を用いて力学の妙や外装と内装のバランスの話をされ,専門的すぎたので早早に「本屋でポップなガイドブックを買って調べるわ。」と話を切り替えた。プロとして建築を仕事にしている人間と,私のようなオーディナリな人間は,建築を見る際に観点が異なる。私はシンプルに「壮観だなあ。」とか「同じような住居を何百も作って変態的だなあ。」と唸りたいくらいの考えでいるが,建築士はデザイン性はもちろん,その力学的趣向に面白味を見出すので話の次元が違う。その次元で建築賞を受賞しているので鋭いと言えば鋭く,専門的すぎると言えば専門的すぎる。また,沖縄の建築の話もした。沖縄の住宅は断熱施工をほとんどしないと聞いた。加えて,沖縄の建築会社のオフィスビルの設計を担当した件を聞いた。建築会社がオフィスビルを自ら設計しないのは不思議だと言っていた。それはなんとなく理由がわかる気がする。心理学者でも他者のカウンセリングを受けることがある。医者でも健康診断は他者に依頼することがある。美容師でも他者にスタイリングを任せることがある。子どもと遊んだ。私は乳幼児に会う時はチャンスさえあれば保存課題を課すが,それを目の前で見せられる子どもも見守る親も,何の目的でそんなことをするのか意味不明といったところである。かく言う私も実験していて不思議になってくる。統計を取ればチャンスレヴェルとの比較が可能であるが,ひとりの子どもの複数回の試行や複数人の単一試行の合計では統計的に検討することはできない。結果的にペダンティックなことを言いながらなんだかよく分からないことをゴソゴソしているおじさんの趣となる。それはそれとして,楽しい時間だった。子どもは刻々と大きくなり,できなかったことができるようになり,発達とか成長とか変容とかいうものを体現してくれる。
神奈川を後にして東京に向かった。この時も乗り換え案内サイトの検索結果の言いなりで向かった。