服装規定には,gender stereotypicalな規定がいくつかあった。例えば,頭髪の長さは,女性はショート,ミディアム,ロングのいずれでもよいが,男性は短髪にする。男性はショートオンリーでロングヘアはno goodらしい。
服装規定の根拠が知りたくなったので,実習部会の会議でナイーヴな疑問として根拠を尋ねた。私は,島根大学に所属して2年目,実習部会は所属して1年目である。知らないことが多いので,シンプルな疑問やナイーヴな疑問は多い。
リプライは,島根大学教育学部附属学校部が実習生の服装規定を定めているというものだったが,根拠は特になかった。島根大学教育学部附属学校園における教職員の服装は教職員の裁量に委ねるが,島根大学教育学部附属学校園における教育実習の実習生の服装は詳細に規定しているとのことだった。
島根県の教員採用試験における服装も知りたくなったので,私はついでに「男性の教員志願者がロングヘアで教員採用試験を受験すると不利になりますか?」と尋ねた。実習部会には,ヴァライアティに富んだ教員が所属している。教育研究歴が長い教授や複数の学校種の管理職を歴任した実務家教員がいる。教員採用試験に造詣が深い教員が何人もいる。この質問は,実習部会の議題ではない。しかし,私は是非聞いておきたかった。会議で主題から脱線して長長と話をする人が出席者の時間をスポイルすることは,今も昔も理である。その点を踏まえ,私はブリーフに質問した。
リプライの主旨は,教員採用試験の評価情報は非公表のため評価に及ぼす服装の影響は分からないということだったが,私の観察では「何か問題でも?」という表情の教員が多かったので,男性の教員志願者がロングヘアで教員採用試験を受験する事態も,私のような疑問を抱く教員がいることも,レアであると考えられた。その後,私は,実習部会とは別に,教員採用試験に携わったことがある教授に同様の質問を投げかけてみた。その結果,関与した限りでは性やルックが問題となったことはないという回答を得た。教授は,山陰では慣習的に短髪の男性が多いので,ロングヘアだと奇異に映って何かしらの影響が出る可能性はあるかもしれない,と続けた。また,そのような教員志願者がいる場合は,事前に当該の事務局に相談するといいだろうと言った。車椅子の志願者がいれば必要な対応を行うように,性に関する案件でも必要な対応を行うのではないか,というものだった。
私がこのようなことに疑問を抱いた理由は以下の通りである。私は,島根大学教育学部で幼児心理学と家庭科保育学をレクチャーしている。発達に関する講義では,intrinsic factorsとextrinsic factorsの交互作用を考察する。nature versus nurtureの議論で遺伝要因と環境要因の交互作用を考察する。性の3大区分では,性は,生物学的な性であるセックス(sex),社会文化心理的性であるジェンダー(gender),性的指向性のセクシュアリティ(sexuality)に区分される。行動傾向の差異は,セックスの差異による心身(e.g. 脳機能)の影響による差異,ジェンダーの差異による環境(e.g. 文化)の影響による差異,および,それらの交互作用で議論される。また,講義では,セックスとジェンダーの不一致やセクシュアリティがマイナーであることに起因する社会的不適応の研究も提示する。LGBT(lesbian, gay, bisexual, and transgender)という,セックス,ジェンダー,セクシュアリティに関する言葉がある。この言葉は,概ね,セックスが女で女が好き,セックスが男で男が好き,異性も同性も好き,セックスとジェンダーの不一致,として用いられる。LGBTは,数的に少ない点でsexual minorityと表現されることもある。私は授業で,以前のブログ「教育的ニーズについて」で触れたように,池田清彦著「メスの流儀オスの流儀」による男女二分法という世間のイデオロギーへの問題提起に言及することもあるし,以前のブログ「人間生活環境教育専攻1年生歓迎会と2次会と3次会」で触れたように,私がバーのマスターに気に入られて好意を示す諸諸のビヘイヴィアの対象となった話をすることもある。先日,通勤の際,iPhoneでBBCのアプリのニュースを聴いていると,セックスに関するトピックが議論されていた。人体の構造は女性を基本としており,授乳器官であるnippleが男性にもあるのは性分化時の名残である件などが紹介されていた。類比的によく聞く話だが,ちょうどよいタイミングだったので,先日の授業ではさっそくこの件にも言及した。島根大学教育学部の他の授業における性に関する議論の取り扱いは知らないが,少なくとも私は,現代は,宗教やタイトな慣習を除けば,セックス,ジェンダー,セクシュアリティが強要される時代ではないと提示する。しかし,教育実習では,femininityおよびmasculinityを求めるようなgender stereotypicalな服装規定に同意することが求められる。教育行政の動きもある。文部科学省は,2015年4月30日付で,「性同一性障害に係る児童生徒に対するきめ細かな対応の実施等について」を各都道府県教育委員会を筆頭に全国に通知した。児童生徒に対してきめ細かな対応をすることが周知されたにも関わらず,実習生にはgender stereotypicalな服装を求め続けるのだろうか。世の中に不整合が存在することは了解している。私自身,分からないまま展開している大学の仕事がある。教育学部における自己評価やアンケートでは,achievement goalとして「◯◯力」といった名前の様様な構成概念を測定するとされる質問項目を目にする。心理学的にはなんだかよく分からない構成概念や質問項目もあるが,心理学者ではなくひとりの大学教員として当該案件に関与する限りにおいては,私は構成概念や質問項目を批判しない。私の知らない学術的背景があって質問項目が作成された可能性もある。文部科学省が提示する構成概念にもどのように操作的に定義されたのか分からないものもある。昨日のブログ「考え方次第」に記したように,人生をコントと捉えるオプションを私は留保している。私は,与えられた役を演じるに留める時がある。しかし,教育実習で性に関して非常にクリティカルな矛盾があるのは如何だろうか。学生たちがどのように捉えているかを知りたかったので,私はアヴェイラブルな学生に所感を尋ねた。学生は,gender stereotypicalな服装規定に特別な所感はないと応えた。私がアクセスした学生に関しては,性に関する不協和や不適応が生じる事態は生起していないようである。学生は,服装規定の提示方法を問題視していたが,それは別の話である。
おそらく,教育実習や教員採用試験において性に関する問題が外在化したり,現在よりも社会的な関心が向上したりしてきた時に対応が進むのだと思う。教育実習の服装規定では,地毛が金髪や白髪の人への対応や,宗教上の理由で服装を厳格に調整している学生への配慮は聞かれなかった。問題化した前例がなく,明文化する必要性がないのだろう。
私は,教育的文脈において性に関する案件が問題化した時には,尾木直樹氏の活躍を個人的に期待する。尾木氏は,「ママ」という商用イメージを活用して幅広い活動を展開している。尾木氏が有する教育の内部事情と外部事情,性の内部事情と外部事情に関する知識は豊富だと推測できる。教育的文脈において性に関する案件が問題化した時には,「ママ」というイメージと,そのイメージを活用することで得た知見を存分に発揮して欲しい。
今春の企業就職について訊いた。私が以前所属していた大学を卒業した女性がいる。彼女は,この春企業に就職した。彼女は,入社後に性に関してcome outしてビヘイヴィアや服装が大きく変わると他の社員が困惑する可能性があること,また,実際的対応(e.g. トイレの利用方法の共有)がイージーではないことから,偽るより採用の段階である程度開示することを求める企業が多いのではないか,と指摘した。彼女の所感では,働き出して2か月ほどだが,規模が大きい企業で階級が高い人ほど価値観は固定的だという。既存のルールで出世したのであるから,それが大きく変わることを面白く思わない人は少なくないだろう。彼女は心理学を専攻していた。彼女は,最後に,「企業内および企業間のルールの中には,面倒臭いものもあります。面倒臭いと思った時は,ごっこ遊びだと思って過ごしています。」という趣旨のことを言った。コントと思うのはどうかな?
国際比較について訊いた。私の身近なところには,国際文化を学び,Denmarkに留学し,日本で就職した人がいる。彼女の考察では,巨視的比較では,日本では採用の段階ではgender stereotypicalな装いが求められることが多いという。男性が短髪で採用面接等に臨むことはユージュアルである。また,性に関する事例として,ゲイの先輩が面接時に自分のセクシュアリティを開示した結果,採用担当者の態度が変わった件を教えてくれた。態度変容がどのようなものか,また,セックスやジェンダーではなくセクシュアリティを開示した理由は不明だったが,この件は,就職活動におけるセクシュアリティの開示が当該の担当者にとっては驚くに足る事項であったことを示している。また,性に無関心もしくは寛容な企業は,セクシュアリティや男性のロングヘアや面接時のカジュアルルックを受容するが,その数は少ない。Denmarkは世界で初めて登録パートナーシップ法が成立した国で,性に関して寛容らしい。彼女が留学時に滞在した寮の入居者には,自身がレズの人や親戚にLGBTの人がいる人がたくさんいたという。そして,企業の採用時には,セックスやジェンダーやセクシュアリティが問われないという。加えて,Europeの就職活動は,大学在学中の長期internship中に交渉を進めることが多いらしく,面接等の短期的交流で採用を決めることは少ないらしい。
地方公務員の事情を訊いた。市役所に勤める人がいる。彼の話では,職員採用は定められた評価基準に準じて評価を行うが,面接では採用担当者個人の思考が大きく影響するらしい。人間が人間を評価するのだから当然と言えば当然である。彼は,地方の役所の文脈では,見た目が派手な人や個性的な人は不利に評定されても仕方ないだろうと指摘した。そして,地方公務員業界は「普通の人」を求めるのではないか,と言った。実際的な話だと思う。
国家公務員はどうだろうか。省庁に勤める人がいる。彼の話では,性の問題で不利になることはないと個人的には思うが,gender stereotypicalでない格好で面接に臨む人がいたら採用担当者は戸惑うだろう,また,古い慣習が根強く残る省庁が正当な理由を付して不利に扱う可能性は低く見積もることはできない,と続けた。彼が,人事院が定める規定があるかもしれない,と指摘したのでwebで調べると,「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」は見つけることができたが,採用に関する事項は見当たらなかった。「おお,淡野はそんな研究をしているのか。」と言われたが,今回の件は研究ではない。
参考までに,ファッション業界を参照しよう。私は蛯原友里氏のファンなので,Samantha Thavasa Japanの情報にアクセスすることがあった。Samantha Thavasaグループの入社式の写真で参照できる新入社員のヘアスタイルは,ファッションコンシャスネスを感じさせる。佐藤智恵著「外資系の流儀」を参照すると,外資系ファッション企業の採用面接は,意識して見た目を整え,「キメ服」で臨む必要があるらしい。また,そこでは,無難なリクルートスーツは無難ではないとも記述されていた。性に関する知見はないが,業種で装いが変わることは明白だ。
私の経験的知見を記す。私が知っている松江市内の幼稚園の過半では,教職員はカラフルで多様な装いを展開することが推奨されている。それは,教職員ともに多様な活動に従事することに依存する部分もあるが,教職員も環境と捉え,子どもの発達に影響を与えると考えられているためである。また,5年以上前になるが,私が非常勤講師を務めた医療センター附属の看護学校では,学生も看護師も教員もパンツルックの白衣が基本だった。世の病院には,院長の意向で女性の看護師の制服がスカートの白衣と規定されている病院もあるらしいが,それは別の話である。研究を志望する大学院生は,教育職や研究職のポスト獲得がテーマとなる。インセンティヴによって女性の教員数を上げる取り組みを展開する機関は少なくない。教員や研究員の募集を参照すると,「男女共同参画基本法の趣旨に基づき業績が同等と認められた場合には女性を積極的に採用します。」とか「男女共同参画を推進しており,業績及び人物の評価において同等と認められた場合には,積極的に女性を採用します。」と記されていることがある。そこでは,性をセックスで判断するのかジェンダーで判断するのかは記載されていない。おそらく,性をセックスで判断するのだろうが,多くの機関は申請者にセックスとジェンダーの不一致があるケースを想定していないのだろう。
装いに関する問題は難しいが,面白いとも思う。大学では,夏期の軽装の励行に関する連絡がメールで届く。期間中の服装は,暑さをしのぎやすい軽装(e.g. 上着を着用しないルック,ノーネクタイ)とする,社会常識を逸脱するような服装は避ける,とある。ファジーだと思う。立場によっては,上着を着用しないルックを無礼と見なすことがある。シャツやブラウスは下着と見なし,下着で仕事をするなという意見である。この立場から見れば,クールビズが浸透した現代は下着姿で働く人で溢れていることになる。この立場がドミナントな文脈では,上着を着用しないルックは常識を逸脱するような服装だと言われる可能性もある。また,立場によっては,下着と見なすことはないまでも,半袖のシャツやブラウスを無礼と見なすことがある。シャツやブラウスは長袖が基本で,半袖は邪道とする考えである。長袖のシャツやブラウスを基本とし,暑く感じる時は袖を捲るに留める立場である。この立場から見れば,クールビズが浸透した現代は無礼者で溢れていることになる。