沖縄はやっと涼しくなった。11月は南風が吹いたり日差しが強かったりで日中汗ばむことが多かった。毎年そうだが11月でも沖縄では夜間にエアコンをつけて眠る日がある。最近北風が強くなりやっと涼しくなった。沖縄では秋から春にかけては南風が吹けば暖かく湿った空気が入り,北風が吹けば冷たい空気が入って曇りやすい。特徴的なのは冬の北風で,その強さに応じて体感気温が大きく変動する。北風が弱ければ晴れて体感では暖かい日になりやすく,北風が強ければ風の強さに加えて曇って日差しがないので体感気温が一気に低下する。上空に寒気がある時はこの特徴が際立つ。風と日差しが分かるようになれば沖縄の気候は把握しやすい。最近はやっと最低気温(最高気温ではない)が20℃を下回るようになった。涼しくなったので沖縄そばを食べた。美味かった。やっと涼しくなったと言っていたらもう11月が終わる。
PROFILE
淡野将太です。専門は心理学です。琉球大学で准教授を務めています。
Syota TANNO Ph.D., Associate Professor, University of the Ryukyus, Japan.
Curriculum Vitae
淡野 将太 (2025). 小学校における宿題と成績の関連から指導と評価を考える 指導と評価, 843, 56-57. (Tanno, S. (2025). Homework, academic achievement, guidance, and evaluation in elementary school. Educational Evaluation and Guidance, 843, 56-57. In Japanese.)
Tanno, S. (2024). Sabbatical experiences and beyond: Enrichment and integration in psychology research and education. Bulletin of Faculty of Education University of the Ryukyus, 105, 71-74.
2020-11-26
iCould 2TBとApple Oneを始める
主力デヴァイスとして使ってきたiMacが古くてそろそろ潮時である。起動時間は日に日に長くなるしクリックやタップが効かない事象も増えてきた。古いのでOSはMacOS Big Surにアップデートできない。
そこで,Apple Silicon「M1」搭載のMacBook Proを新しく導入することにした。MacBook Proを2台,MacBook Airを1台,iPhoneを1機使う4デヴァイス体制となる。iMacは追って処分する。
それに先立ってiCloud 2TBとApple Oneを始めてデータを整理した。昨今のAppleはデヴァイスの初期設定ストレージ容量を小さく設定していて,データをクラウド化しろと示唆している。私はその示唆に同意してiCloud 2TBとApple Oneを始めた。iCloudはこれまでも利用していたがストレージを2TBにしてオーディナリなデータ運用に関して憂いはない。音楽を同期するにはApple Musicを利用する必要があるということだったのでこの機会にApple Oneにも加入した。
写真と音楽のアップロードはまとまった時間を要した。iMacの処理速度の遅さが影響している。写真は40,000枚(200GB)以上の写真と動画をアップロードした。これにはiMacの電源を入れたままにして50時間かかった。順番に処理を行っているのか写真のアップロードが完了した後に音楽がアップロードされた。音楽はiTunesにあった1,000枚(500GB)以上あるライブラリをアップロードした。これにはiMacの電源を入れたままにして30時間かかった。データ量と時間が相関しないのは不思議だが私にはその理由を知りようがない。なお,デヴァイスの電源を入れたままで写真を起動していない状態の時に処理が行われる「ピープル」の検索は,デヴァイスが4つあることが影響したのかそれぞれの電源を断続的に入れたり切ったりしたことが影響したのか通算で2週間かかった。諸諸のデータ同期に際して途中困難を感じてAppleに電話で相談するなどしたが最終的には無事にデータ同期を完了できた。音楽を聴きながら写真を整理すると数十時間は遊べる。私がデータとして持っている最古の写真は学部生時代にデジタルカメラで撮影した写真だが,今を生きる10代は最初にスマフォを購入した瞬間から日常的に写真を撮影しまくっているはずなので私の年齢になる頃には数十万枚の写真データが残るはずである。
Apple Musicでは音楽とミュージックヴィデオがあれこれ試聴できるので生活が音楽で彩られている。心理学ではPsychoactive drugsという気分や行動に影響を及ぼす化学物質の分類があり,日本で合法なものでは酒やタバコが,違法なものでは大麻などの植物の葉や覚醒剤や合成麻薬などの粉や液体などが該当する。音楽は化学物質ではないのでドラッグではないが,私は音楽は大好きで聴くと気分が高まる。Appleは連綿と音楽を主力コンテンツとしている関係で何につけても使いやすくて良い。ミュージックヴィデオは世界のアイコンを目にする機会にもなるので世界旅行のインスピレイションになっている。
Apple OneでApple TV+も試聴しているが,飽きる予感がする。サブスクリプション系の動画配信サーヴィスは私のような凝り性は興味があるものを一気見をして終わりである。めぼしいものを探したらEwan McGregorがバイクで世界を旅するドキュメンタリが3シリーズ(i.e. 2004年のLong Way Round, 2007年のLong Way Down, 2020年のLong Way Up)あったので全て試聴した。これも世界旅行のインスピレイションとなった。試聴していると,Long Way Roundでは同行するカメラマンが旅行開始までにバイク免許の取得に間に合わないとか,Long Way Upでは電動バイクが寒さで思うように動かないという外国らしい準備不足があって呆れながら笑いながら試聴できた。ただし,この点は馬鹿にできない。研究では人種によってセロトニントランスポーター遺伝子が異なることが示されており,旅行を楽観的に計画できるのはある意味では関係者たちの才能である。また,全てのシリーズで悪天候や悪路で何度も転倒したりバイクを故障させたりしながらしぶとく旅を続ける様子からEwan Mcgregorはファッションでバイクを乗っているのではないことは分かった。ちょっとした修理は自身で行い問題を解決していた。タフガイである。また,旅を始める前にはサヴァイヴァルのレクチャや賄賂の使い方のレクチャを受け,実際に賄賂を使ってうまく旅する様子も本当か嘘かは別として収録されていて興味深かった。私は30歳で二輪車に乗ることをやめてAQUAを購入したが,ポイントでレンタルしてツーリングをしたいとは思っている。
Apple OneではApple Arcadeも利用可能でゲームを無料で楽しめるが現状では何もプレイしていない。10歳の私なら友人とあれこれ競い合い教え合い楽しんだだろうが,今更おじさんが要領も分からないゲームをひとりで始めても上手く遊べず虚しいだけである。
iCloud 2TBとApple Musicの影響でこれまでに人生で集めたCDはいよいよ荷物と化してしまった。音質を重視してCDと高音質スピーカで拘って音楽を聴くということは今の生活ではない。CDは総額百万円以上するので捨てる気にはならないが,質量が重い荷物である。引越しの度に奈良,広島,島根,沖縄と帯同してきたが,これから先も連れて生きるかどうか。CDの音質をダウンロード音楽が凌駕する日も遠くない。デヴァイスの種類によるが今でも簡単にEqualizerで音を調整できる。Apple Musicがあれば興味があるジャンルを適当に聴き流せば好きな曲が見つかる。これまでは日常生活の中で耳にした曲をせっせと検索してCDを購入したりダウンロードしたりしていた。そのパタンも曲検索アプリが登場してから変化はあったし,これから先もその行動は無くならないだろうが,Apple Musicがあれば私の好みに合わせて曲が更新されるし,特に気に入れば直感的操作ですぐにライブラリに追加できる。lyricsも簡単に参照できる。ああ,良い時代だ。
2020-11-23
人工の街路樹
ウォーキングをしていて人工の街路樹がないものかと思った。街路樹は夏は生い茂り冬は落葉することで季節感を演出するとともに歩行者の涼と暖を助けると聞く。だが,手入れが大変だ。街路樹の剪定には作業員が必要だし,その作業員は交通や電線に配慮する必要があるし,道路は渋滞となることがある。数年前,夏の盆休み直前の金曜日に国道330号線の並木の剪定作業が展開されていた。そもそも混み合う330号線は盆休みを組み込んだ連休を沖縄で過ごす旅行者のレンタカーに加えて車線規制で大渋滞になっていた。日を選ばないのが沖縄である。台風の際には枝が折れたり木自体が根こそぎ飛んだりする。落葉すれば掃除する必要がある。花が咲く場合は道路や歩道が花の蜜や色で汚れる。人工の街路樹を採用すればこのあたりの問題を制御することで解決できそうである。ウォーキングをしながらそんなことを考えた。ただ,私も人生経験を積んで,このあたりの問題が問題であり続けることが重要な場合があることを認識している。諸諸の手間が雇用を生み出しているのは事実である。また,この問題はちょっとした工夫で容易に解消できるので為政者の業績として見込める案件である。さらに,人工ではないから良いことは多分にある。人間の営みとは独立的なところで何かが動くことで人間は心安らいだりインスピレイションを受けたりする。とりあえず一通り調べてみたが,人工の街路樹実験のような試みはなさそうである。Singaporeに知見が蓄積されていそうだがどうだろうか。
2020-11-19
つけ麺
学生に推されてつけ麺を食べたら美味しかった。学生とつけ麺屋を訪れ,ラーメン好きな私はラーメンを食べようと考えていたが,学生に叱責レヴェルで「将太先生,この店では絶対つけ麺を食べるべきです。」と言われたのでつけ麺を食べた。美味しかった。最近知ったことだが,つけ麺のつけだれは出汁で割って飲める。私はラーメンでも沖縄そばでもスープを重視する。その点ではつけだれを出汁で飲めることは嬉しい。大変よろしい。まあ,出汁で割らなくても飲むが。今回の感心がつけ麺を食べ回るきっかけになるかもしれない。
2020-11-16
県外旅行の総括
県外旅行の総括をする。非常に楽しい旅行だった。
人と親睦を深めることができた。親戚や教え子や友人との会合は楽しかったし,プロゲーマーに会えたのは光栄だった。
少ない手荷物での行動は成功した。日本では街場であれば出先で物を調達するには困らない。知性と信用と小銭があれば荷物は少なくて良い。バッグを持たない場合はポケットは便利である。私は胸ポケットをつけたオリジナルデザインのシャツをオーダーしてファッションを楽しもうと考えている。私のジャケットルックについていろいろな人が似合っていると言ってくれたが沖縄では出番はない。
食に合わせてお酒を飲む方法も馴染んできた。食中酒としての醸造酒にこだわりたくなってきた。お酒と並行して旅先で水をあまり飲まないようにした。水は吸収効率が低い。炭酸水やお茶で水分摂取をすることを心がけた。利尿作用が強いと言われるものの私としてはコーヒーの吸収効率が良いと感じているので1日2杯までならコーヒーも許容している。3杯を超えると睡眠に支障が出るので控える。
この旅行で人と話をする中で「普通」や「一般」というものは呪いのようなものに思えてきた。直感のレヴェルでもわかるように「普通」や「一般」は統計的の話であって実在しない。「標準的な体系」とか「一般的な水準」という表現は統計ありきの表現である。それを過剰に意識すると「普通」や「一般」との偏差に悩んだり個人間でいがみ合う構造が現前化する。
奈良で接客を受けて奈良弁を実感した。今まであまり意識したことはなかったが,奈良の関西弁はイントネーションやアクセントに特徴があった。「大阪LOVER」を繰り返し聴いた旅行だったので大阪弁と奈良弁を意識する認知的構えが構成されたのかもしれない。私は奈良県生まれ奈良県育ちで22歳で奈良を離れた。関西弁は「なんでやねん」「おおきに」などの固有の言葉はあるものの,沖縄の島言葉よりは分かりやすく,基本的には文章の語尾や単語のイントネーションおよびアクセントの特徴が優位だと考えている。そして,関西弁をそれこそ「標準」に「矯正」した人の言葉を奇異に感じるという理由から私は広島でも島根でも沖縄でも特に変わらず口語を運用してきた。話すうちに私の関西弁が転移して関西弁を随所で使う人もいるが,だから何だという話である。
旅行をしながらこんなことを考えた。今の職では割り切って国民に知見を提供するという観点に立つことも必要かもしれない。奈良のJR万葉まほろば線の各駅停車に乗車していた時のことである。乗降する地元の高校生をたくさん目にした。沿線にある複数の高等学校の下校時間だったようだ。生徒が持つ鞄に記載された学校名を見て,そう言えばそんな高校あったな,と思い出した。昔も今も奈良盆地にある以外に特に特徴がない学校である。社会制度の変革があっても,科学技術の進歩があっても,学校の統廃合があっても,これから先もこのような状況は再生産されるのだろうと思った。琉球大学の学生と乗降する高校生が重なって見えた。そして,そのような人人に伝わる形で教育をすることも重要かもしれないと思った。大学にいると国家官僚などの「国民に知見を提供する」というスタンスと発言を見聞きする機会がある。これは,こちら側とあちら側の境界を強調することを含意する。大学教育は教育する者とされる者の境界がなくなることを本質としていると私は認識している。しかし,最近は,学生の教養の涵養を期待することは非常に困難であると痛感している。学生に伝わる易しい形で知見を提供するよりないのかもしれないと思うようになった。大学では教育は最小限にする研究者は少なからずいる。私は教育心理学が専門なので教育にコミットしすぎたのかもしれない。
「Go To キャンペーン」の恩恵を受けた旅行は10万円以上得をした。このようなキャンペーンは使える時に使った方が良い。急に終わることもあるし情勢に応じる形で使えなくなることもある。これからもチャンスを積極的にものにする生き方を採用する。
OMEGA Seamasterのベルト問題は,次に東京などに行く際に事前にSweissの本店から3週間かけて細いベルトを取り寄せておき,サーヴィスセンターで交換してもらうことにした。街の時計屋や服の直し専門店を訪れてベルトの穴開けが可能かどうか確認すると革ベルトは可能だがラバーベルトの穴開けは困難で受け付けられないと回答を受けた。私の腕の細さのせいで地味に手間がかかる展開となってしまっている。銀座本店に行った時には細いベルトはあるが,Sweissの本店からベルトを取り寄せるために3週間かかると言われて長いと思った。また,ベルトのみの販売は不可能でサーヴィスセンターでの取り替えまでがセットになっている。保証の観点からそうなっているが,沖縄に住んでいると再訪するにも時計を発送して取り替えてもらうにもコストが大きい。王道のオプションはこれしかないので次の旅行でそうすることにした。
本州ではサングラスを着用する人がほとんどいなかった。横浜,東京,名古屋,奈良と旅行して改めて認識した。私の目は光に敏感である。そして,私はサングラスを多用する。沖縄ではサングラスを着用する人が類比的に多く街の景色に溶け込めるが本州ではそうではない。
COVID-19の対応は都市やホテルやレストランで様様だった。私は心理学が専門で,人人のビヘイヴィアを参照して思索する。何度か言及しているようにCOVID-19そのものよりもそれを取り巻く人間模様の方が私は怖い。だが,同時に,興味深くもある。感染症を取り巻くリテラシ不足を主な理由とする人人の他罰的行動も怖いし,張り紙などに書かれた感染症対策に関するなんだかよくわからない文章が氾濫していることも怖いし,それ自体が感染症対策としては非合理的な対策も怖いが,それが人間である。それぞれに行っている感染症対策は「どこまで本気なんだよ。」と思うようなものもある。
ブログを読んだとっしゃんからは「薄っぺらい自分たちのやり取りをブログにどのようにまとめるか気になっていたが,上手いことまとめたな。」と好評を得た。社会的事象を文章で具体化したり抽象化したりすることは私の本業なのでイージーである。
また,人生は好機を逃さないことが重要であり,恋愛であれば「ワンチャン」をものにすることも時に重要だとブログに書いたら,ネットで知り合い会ったその日に「一発ヤ」ってそのまま付き合っている友人カップルがいるという話を学生が教えてくれた。でーじじょーとー。
この旅行ではDREAMS COME TRUEの「大阪LOVER」とYOASOBIの「群青」をよく聴いた。やはり思い出と音楽の連合は強い。
旅行を終えて,もっと貪欲に生きていこうと思った。興味がある研究はやり切った,ギャランティは良いとは言えないが悪くはない,経済の演習で資産運用能力も身につけた,社会に対してメッセージしたいことはブログで書いている,そのような感じで人生を穏やかな方向にシフトして生きてきた。将棋の渡辺明名人の言い方で言えば,自分の残っているお釣りでどのように生きようかと考えていた。別に私は偉業を成し遂げたわけではないのでお釣りだとすると矮小である。適性や努力や才能を議論するときは生まれ持った才というものを念頭に置く関係で私は誰もが偉業を成し遂げられるとは思っていない。そして,現状では私の人生は別に悪くないと思っている。だが,もっと動的に,意欲的に,貪欲に,生きていこうと思った。東京で元気に暮らす教え子を見て,将来の展望が定まらない世界に身を置くプロゲーマーに会って,まだまだキャリアがプラスティックな同級生Oと話をして,幼馴染の旬なものへの反応性を見て,夜遊び上手な教え子に感心して,画伯の生き様に触れて,母と地元奈良の話をして,とっしゃんと諸諸の話をして,そう思った。沖縄で,どうしてそんなに図図しいんだと思う人間をたくさん見てきた経験がそう思わせた。もっと食べたいものを食べ,飲みたいものを飲み,行きたいところに行き,会いたい人に会い,やりたいことをやることにした。
2020-11-12
奈良へ
奈良に行った。名古屋から奈良へ近鉄とJRを乗り継いだ。
新幹線と同様に近鉄特急に乗るのも久しぶりだった。当初は高速バスで名古屋から奈良へ移動する予定だった。始発の名古屋駅から終点のJR奈良駅まで乗っていれば良いので楽である。時間的には新幹線とJR在来線を乗り継ぐ方が早いが大きく変わらない。だが,予定を柔軟にする観点から高速バスの予約を前日まで引き付けたが,前日に予約しようとすると予約期限が終わっていた。このあたりが高速バスらしい。この機会に久しぶりに近鉄特急に乗ることにした。「特急ひのとり」という大変調子が良い特急が走っていることを初めて知った。近鉄名古屋駅から近鉄大和八木駅まで特急ひのとりに乗り,近鉄大阪線で近鉄桜井駅に戻ってJR万葉まほろば線に乗り換えてJR奈良駅に向かえば良い。こうなれば時間や経路の合理性など関係がなくなり,特急に乗車することが目的かつ旅行の楽しみのひとつとなる。値段も関係ない。先頭車両の最前列を確保し,眺めを満喫した。同じような目的と思しき人が何人か先頭車両に乗車していて心地よい緊張感があった。
ホテルはホテル日航奈良に宿泊した。奈良ホテルに宿泊したかったが秋の奈良ホテルは予約が取れなかった。奈良県の肝煎りで誘致したJWマリオット・ホテル奈良は空いていたが,わざわざ不便な奈良市役所前のホテルに泊まる理由はない。ホテル日航奈良は築年数が幾分か経過した出張利用や団体利用向けのホテルだが,その分だけサーヴィスと朝食が洗練されていて奈良を満喫する一助となった。奈良県で生まれ育った身としては奈良の良さを自覚しにくいが,ホテルに点在する奈良を演出するインテリアやホテルの食事で供される奈良の野菜や奈良漬や粕汁や柿の葉寿司を食べると旅情が際立つ。生まれ育った奈良は親しみがあるし良い街だと思うし街を歩く鹿は可愛いが,改めて住みたいかと問われると微妙で頼まれれば考えても良いというくらいの認識である。新幹線駅も空港も主要高速道路も遠いので旅行好きには不便だ。
高校の同級生である通称「画伯」に会った。画伯は美術の知見について折に触れて教えを乞う相手である。奈良町にある「うとうと」という非常にレヴェルの高い予約制の店で会食した。知人の家で食事する趣だと聞いていたがその通りだった。お酒はビール以外は自由に持ち込むスタイルだったので奈良町の酒屋で奈良の地酒を買って持ち込んだ。奈良の食材を存分に活かした料理を満腹まで堪能した。画伯からは受容性の重要性を学んだ。画伯は私の話を否定せずに聞く。私はFranceでVincent van Goghの絵を観て,単調なテクニックを用いた自己主張の繰り返しと直感して「生前にゴッホの絵が売れなかった理由が分かった気がする。」と現地から速報したら,批判することなく受け止めてくれた。また,ここ数年普及した,成人男性の肩掛け鞄という表現しか思いつかないサムシングや,小学生のお小遣い当番みたいな首からかけるサムシングについて,トレンドを後ろ盾にすることが目的のようなファッションは見ていて面白くないと評したら笑って聞いてくれた。画伯はこの日,東大寺の幼稚園で担当している絵の仕事を終えて私と合流した。奈良らしさが強い。同級生Oの父親の格言に関する話になった。その父親は,お金を貯めるのはイージーだがお金はいかに使うかがポイントだ,と言ったらしい。なるほどと思った。私も考えようと思う。私は何かデザインをオファーする機会があれば画伯にオファーしようと考えていたが,オンデマンド的デザインは受け付けていないと言っていた。自身の思考や感覚などを絵画表現することを志向しているのであって商業的普及を志向しているのではないらしい。
母と奈良ホテルでランチを食べた。実家は家具が古いので私はほとんど帰らない。母を沖縄に呼んだり一緒に旅行したりすることが多い。奈良を旅行して奈良の良さを再確認できていると話をしたら,母も同意していた。母の幼少期から現在まで,奈良県の子どもは遠足や校外学習で寺や神社や史跡を訪問するパッケージが連綿と継続されているが,それらは贔屓目に見ても子どもには面白味がない。何なら,その寺や神社や史跡そのものよりも,敷地内で過ごす自由時間に友人と遊んだ鬼ごっこなどが思い出として強いことは珍しくない。長じて後に普段から何気なく親しんだ,あるいは,親しむという認知的処理などしないレヴェルで接していた建物などが文化財としての価値があり,人によってはそれを拝観することを主目的として旅行したりすることがあることを知って幾分かありがたみを実感することはある。
親友のとっしゃんに会った。旅行前には奈良ホテルのディナーのコースを食べることを構想したが,奈良ホテルは営業時間の調整でディナーの予約が変則的になっていた。その変則に無理に合わせてまで食べることはないので,奈良ホテルはランチユースにして,そのランチは母とともに食べた。そして,夕食はフルコースは回避するという流れから菊水楼のうなぎ料理屋である「うな菊」でうなぎのコース料理を食べた。私は名古屋でうなぎを食べたが,うなぎをおかわりする方略である。実は,今回の旅行で私はうなぎを食べ比べたいと考えていた。東京,名古屋,奈良で食べ比べれば面白いことが発見できそうである。そのため,東京の老舗でうなぎを食べることも夢想していた。だが,タイトなスケジュールを組まない私には時間に限りがあるとともにボディ的にも限りがあり,東京ではうなぎを食べるチャンスがなかった。奈良でめぼしい夕食処を検索するとうな菊があったので選択した。とっしゃんとは普段から連絡を取り合っているので直接会って何を話すかと言えば,人生で重要だと思われる案件の詳細を話すこととなる。「淡野,お前の研究室運営はどないなっとんねや?」と聞かれた。私の大学における教育のコミットメントが小さくなり,研究室への学生受け入れも間口が狭くなったことを指摘された。私はブログに書いた通りだと説明した。手応えのない教育ほど寒いものはない。卒業研究という名ばかりの学生指導は単純な消耗である。専修の方針がソフィスティケイティッドなものにならない限り私は現在のスタンスを変えないし,管理職の教授にも伝えてある。琉球大学は大学であり専門学校ではない。他には,とっしゃんの持ち家の話や職場の同僚のクソムーヴなどを面白く聞いた。猿沢池のほとりにあるStarbucks Coffeeに移動し,話を続けた。話したいことは山ほどあったが,互いに夜更かししてまで話す年齢でも行動特徴の持ち主でもないので閉店時間を区切りとして話し足りないことは次回会った時にすることにした。徒歩で一駅分歩いて帰ると言ってとっしゃんは夜の奈良を歩いて行った。
奈良を後にして関西空港から那覇空港に飛び,旅行を終えた。関西空港の飲食店などのショップは多くが休業していた。国際線チェックインカウンターが並ぶフロアは閑散としていた。
2020-11-09
愛知へ
愛知に行った。東京から新幹線で名古屋に向かった。
飛行機を使う生活に慣れると新幹線に感心する。座席の価格の安さと座席配置のゆとりとダイヤの正確さに感心する。混んでいようがいまいが価格は同じである。時間帯によっては早期予約で安くなるが基本的には直前でも価格は同じである。グリーン車料金も安く感じられる。また,シートピッチも広くストレスが少ない。さらに,正確なダイヤに心底感心する。秒刻みなので当然だ。沖縄で生まれ育った人が東京や大阪での生活に適応できずに帰省する事例は山のように報告されているが,ひとつはこの緻密さへの不適応が原因である。新幹線と言えば,東海道新幹線および山陽新幹線ではのぞみの新横浜名古屋間のみが穏やかな時間である。東京を出発して品川と新横浜に停車する前後は列車の挙動も車内の人の動きも慌ただしい。同様に,名古屋以西では京都,新大阪,新神戸に停車する前後は列車の挙動も車内の人の動きも慌ただしい。上り下りでもことは同じである。お酒を飲んだ人や弁当を食べた人は新横浜名古屋間で眠りがちである。山陽新幹線となるとトンネルだらけで車窓からの景色が楽しめないし気圧変動との戦いで一苦労である。
教え子に会った。食に重きを置いている最近の私はうなぎを食べたいと連絡していた。教え子が著名な店を事前に予約してくれた。予約して間もなく,店側はうなぎは捌いてから焼き上がるまでに30分を要するのですぐに食べたい場合は事前に連絡するよう伺いをたててきた。大変よろしい。想定されることを顧客に伝えて最善手を追求する姿勢である。飲んでつまんで話をすれば30分は一瞬なので問題ないと回答してもらった。そして,実際,うなぎの多種多様な部位を食べながらお酒を飲んで話をした。名古屋に来る前に横浜と東京で何をしたとか近況はどうだという話をした。広島大学では誰誰などの世代が助教をしているという話にもなった。その間にひつまぶしを注文して話を続けた。同級生が結婚したとか謎の仕事をしているという話をしていたらあっという間に提供された。そのひつまぶしは人生で一番美味しいと感じたうなぎ料理だった。表面は香ばしく中は弾力を残しながら柔らかく焼き上げられていた。ひつまぶしはうなぎをひつにまぶしてお茶漬けなどにして食べる手法を導入することでお茶を濁した少しセコい料理だと思っていたが,うな重とは異なる趣で焼き上げたうなぎは食べ方をアレンジしながら楽しむ料理として成立していた。その後,名古屋マリオットアソシアホテルのバーで飲んだ。地上200mの絶景を有するバーが気軽に楽しめた。お酒を飲みながらケーキでも食べようと思っていたが,ジンフィズというシンプルだが爽やかで甘さも楽しめるカクテルの美味しさを知ってそれを何杯も飲んで満足した。教え子はお酒に詳しい。行きつけのバーも確保している。その日の気分や感情や体調を言語化してどのようなものを飲みたいか伝え,それを既存のカテゴリから選択し,あるいは,そのカテゴリを超越するアレンジを施した飲み物を選択し,ナイトライフを楽しんでいる。私はこれまではビールとシャンパンとワインくらいしか飲んでこなかったので勉強になった。教え子は私から影響を受けたことが少なくないと言っていた。そんな私は同級生Oから影響を受けたことが少なくない。会うことはないだろうが同級生Oと話は合うかもしれないという話になった。
幼馴染に会った。クラフトビールを飲み,名古屋コーチンの焼き鳥を食べ,最後は「最近名古屋テレビ塔周辺がええんやで。」ということで名古屋テレビ塔の下でタピオカを最大まで増量したタピオカドリンクを飲んだ。幼馴染は国家公務員一種として勤めた後,転勤を回避する観点から市役所で勤めている。仕事の話を聞けば,前職とは比較にならないくらいイージーで,仕事の主要な部分は人間関係の維持調整が占めていると言っていた。私は同意できた。地方の国立大学法人に所属していると,業務分担のフェアネスなどに砕身することが珍しくない。心理学の講座ではない文脈では各教員の専門性などほとんど関係がなく,業務では学術用語など全くと言っていいほど出てこず,気を遣い合うおじさんやおばさんの集団といった趣である。その気遣いは,対面する研究者が特定の領域の専門家であることに対する尊敬に起因している。この尊敬がなくなると面倒となる。私が大学院に入った頃にはすで博士号を取得して当たり前の時代だったが,実際に大学教員として勤めると博士号を取得していない人がたくさんいる。教育学部が実務家教員の比率を上げていることが影響している。誤解のないように書いておくが,私はそれを悪いと言っているのではない。また,先日大学院時代の先輩と電話をしたら,日常はもはや事務員が行うような仕事に追われていると言っていて私も思い当たる節があった。結局は地方の国立大学法人の大学は時間もお金もないので,しんがり的ムーヴをいかに充実させるかが仕事となる。そして,充実させることなど考えず,文部科学省的にはこのような方針があり,本学あるいは本学部はそれに追従するよりなく,やむなくこれを果たしましょう,と言って淡々と運営や業務を展開する方が合理的である。一国一城の長的なプライドで何か特色を出そうとすると仕事を増幅させるだけで邪魔なことが多い。実際,声が大きな教授が退職した後に何事もなかったかのように制度が均されて物事がスムースに動くケースを私は何度も目撃してきた。さて,幼馴染と話をしている中で経済の話をした。ふとしたきっかけで経済の演習をしたことに言及すると,為替と株について嗜んでいると提示してきた。評価額が思うように上がらないと言うので詳細を聞いてみると,余力が小さいことが影響していた。為替と株の投資に関する典型的な失敗例に一致した。資金が少ないと売買を繰り返す必要が出る。別の幼馴染が島根県の海士町に住んでいるという話になった。私は10年ほど会っていない。焼き鳥を食べながら電話してみると,遊びに来いと言う。仕事の都合から春なら時間が取れると言っていた。来年の春に遊びに行くことになった。私は島根県の松江市に2年間住んだが,隠岐は行ったことがない。楽しみである。結構高価な焼き鳥だったが頑なに払うと言われたのでそこは払ってもらった。
名古屋から奈良へ向かった。子どもの頃から乗り慣れた近鉄電車に乗った。
2020-11-05
東京へ
2020-11-02
神奈川へ
神奈川に行った。神奈川の横浜へ羽田空港から向かった。
羽田空港に向かう飛行機内で著名人を見かけた。羽田発着のフライトでは著名人をたまに見かける。隣に座ることもある。東京は社会で活躍する著名人が往来する都市だと再認識する。また,離着陸の際に工業地帯や都心のビル群を眺めて「よくぞこんなにも建築したな。」と人間の営みに感心する。街中で離着陸する点で言えば伊丹空港のフライトに搭乗した時によりその点は強く感じる。そして,伊丹空港は沖縄の諸諸の飛行場より危険なこともあると思う。
羽田空港に降り立ち,乗り換え案内サイトの検索結果の言いなりになって横浜に向かった。相互乗り入れが盛んになった今ではとてもではないが路線図を見て乗り換えができるものではない。遅延などのリアルタイム情報にも対応できるのでweb検索が確実だ。実際,駅員に乗り場などを質問すると,乗り換え案内アプリを使った結果を参照して案内してくれることがある。
横浜で親戚に会った。建築士をしている親戚から建築の話を聞いた。私は2年後を目処に世界一周旅行を計画している。その際には世界の建築訪問を目的のひとつにしようと考えている。面白そうな建築について尋ねると,鈍器になりうる構造設計の大著や写真集を用いて力学の妙や外装と内装のバランスの話をされ,専門的すぎたので早早に「本屋でポップなガイドブックを買って調べるわ。」と話を切り替えた。プロとして建築を仕事にしている人間と,私のようなオーディナリな人間は,建築を見る際に観点が異なる。私はシンプルに「壮観だなあ。」とか「同じような住居を何百も作って変態的だなあ。」と唸りたいくらいの考えでいるが,建築士はデザイン性はもちろん,その力学的趣向に面白味を見出すので話の次元が違う。その次元で建築賞を受賞しているので鋭いと言えば鋭く,専門的すぎると言えば専門的すぎる。また,沖縄の建築の話もした。沖縄の住宅は断熱施工をほとんどしないと聞いた。加えて,沖縄の建築会社のオフィスビルの設計を担当した件を聞いた。建築会社がオフィスビルを自ら設計しないのは不思議だと言っていた。それはなんとなく理由がわかる気がする。心理学者でも他者のカウンセリングを受けることがある。医者でも健康診断は他者に依頼することがある。美容師でも他者にスタイリングを任せることがある。子どもと遊んだ。私は乳幼児に会う時はチャンスさえあれば保存課題を課すが,それを目の前で見せられる子どもも見守る親も,何の目的でそんなことをするのか意味不明といったところである。かく言う私も実験していて不思議になってくる。統計を取ればチャンスレヴェルとの比較が可能であるが,ひとりの子どもの複数回の試行や複数人の単一試行の合計では統計的に検討することはできない。結果的にペダンティックなことを言いながらなんだかよく分からないことをゴソゴソしているおじさんの趣となる。それはそれとして,楽しい時間だった。子どもは刻々と大きくなり,できなかったことができるようになり,発達とか成長とか変容とかいうものを体現してくれる。
神奈川を後にして東京に向かった。この時も乗り換え案内サイトの検索結果の言いなりで向かった。
2020-10-29
久しぶりの県外旅行
久しぶりに県外旅行に出た。生活を動的にシフトした動きの第一弾と言える。飛行機や新幹線を使った旅行がしやすい状況がドミナントになったことと「Go To トラベルキャンペーン」の威力が強いことが影響した。病気の発症は生物学的脆弱性と環境の相互作用の帰結なので,どちらかに弱点があればそれだけ感染しやすいが,昨今の感染症対策ではそのようなことがある程度知れ渡ってきたように感じている。久しぶりに知人に会った。食べたいものを食べた。好きなプロゲーマーにも会えた。
今回の旅行のテーマは,人と親睦を深める,少ない手荷物で行動する,食に合わせてお酒を飲む,とした。詳細をひとつずつ書こう。
親睦を深めるというテーマは今回の最大の目的である。私は記憶の体制化と体調管理の観点から休暇でも出張でもタイトなスケジュールは組まないが,今回は普段の2倍くらいのスケジュールを入れた。それでも,世間の人とあまり変わらないくらいのスケジュールである。では,これまでと何が異なるかと言うと,会食を基本としたことが特徴である。食事は人間には必要なことであり私は1日3食の食生活が適しているので減らせない。食事が独立的な場合は食事を済ませてから何かをすることになるのでスケジュールが増えることになるが,会食は話したり遊んだりする際に組み込みやすいので会食を基本とした。
少ない手荷物で行動するというテーマは,文字通り手に持つ物を少なくするという意味である。荷物はホテルに置いて街中での移動はバッグを持たず手ぶらを基本とした。普段は買い物でも観光でも財布と車のキーを入れたLOEWEのPuzzle Bagを持っているが,それでは機動力に欠ける。旅先では機動力と貴重品を皮膚感覚で認知して携帯することが重要だと私は考えている。そして,車のキーを持つ必要はない。そこで,財布の中身をカードケースとコインケースに分けて入れてポケットに入れて手ぶらで行動することを基本とした。ポケットは便利だと少し前にブログに書いたが本当に便利だと思う。カードケースにはクレジットカード,電子マネーICカード,交通系ICカード,銀行キャッシュカード,免許証,保険証を入れた。これで必要十分である。希望を言えばそれらもiPhoneに全て集約したいが現実には難しい。コインケースはコンパクトでポケットの中でも潰れない柔軟性が高いものにした。キャッシュレスが進んだ今でも現金はどうしても必要で,札を折りたたんで入れるとともにお釣りで受け取る小銭を入れるコインケースは必携である。私は「お釣りの小銭は全てレジ横の募金箱に募金する」という人がいることを知っているが,私はその境地には到達していない。今回はジャケットルックを多用したのでジャケットのポケットも活躍した。ドレスコードをパスしやすくちょっとしたものなら携帯できるジャケットの利便性を大いに体感した旅行でもあった。
食に合わせてお酒を飲むというテーマは,最近の私の飲酒スタイルに影響を受けている。私はこれまで,お酒を飲む際はすぐに満腹になることに加えて消化に悪影響であることからほとんど食事をしなかった。飲む場合は1600くらいから飲み始めて1830くらいに夕食を食べていた。あるいは,飲み会であれば飲み会の中盤まではずっと飲んでいて,終盤でサッと何か食べていた。最近は飲酒の機会も量もかなり少なくなった。一方で,食事にお酒を合わせて少量ずつ楽しむ方法を採用するようになった。以前はお酒が主で食事が従だったが今は主従が逆転している。旅行を振り返ると会食で話をしながらお酒を飲むと揮発して酔いはかなり弱くなることが分かった。トイレのために席を立つ回数も3分の1程度になった。
久しぶりに飛行機に乗った。那覇空港のサクララウンジに立ち寄り昨今の情勢でどのようにサーヴィスが変更されているのか参照した。テーブルにはプラスチックのボードが衝立として並んでいた。スタッフの清掃は普段から丁寧だがより一層丁寧になっていた。飛行機の搭乗方法はこれまでと変わらなかった。IATA(international air transport association)の統計では,航空機利用に依る感染症感染確率は2700万の1らしいが私はそもそも感染症に対する恐れが小さいので気にしない。私は感染症を取り巻くリテラシ不足を主な理由とする人人の他罰的行動の方が怖い。
そんなわけで旅行に出た。旅行の詳細は追って書く。
2020-10-26
マスク
今年に入ってからマスクがフェイスウェアの地位を獲得した。多様なデザインのマスクを目にする。身に纏うもののデザインを楽しむのは主に人間の特徴なので良いことだと思う。デパートやスーパーではマスク売り場が設けられ,そこにはデザインや性能を精査する客が集まる。
マナーのレヴェルでは十分だという考えから私はこれまで国が給付したマスクを着用してきた。着用しているとアイキャッチなので知人から「もしかしてそのマスクは「アベノマスク」ですよね?」とか「そのマスクを着用している人を初めて見ました。」などと言われる。「使っていないので譲りますよ。」と言って私にくれる人がいるので私のもとには例のマスクがいくつも集まった。春先にも指摘したが,マスク着用は「人が着用しているから私もしなきゃ。」という心理の帰結である部分がある。感染症予防を厳密に考えるとオーディナリなマスクでは十分ではない。
マナーのレヴェルでは例のマスクで十分であるし,アイキャッチという点ではファッション性を備えているが,カッコ良いかどうかと言えば絶望的かつ最低だと思う。日常生活では,買い物,車の運転,個人研究室,遠隔授業や遠隔会議でマスクのデザインはあまり気にならない。だが,飛行機やショップやレストランではある程度人目は気になる。
自身の考えを反映させたマスクがどのようなものか考え,あれこれ調べ,懊悩し,使い捨て不織布マスクに落ち着いた。私はあまりマスクに興味がないことが分かった。
2020-10-22
ドライヴドライヴ
年に数回,車で長距離をドライヴをしたい欲求が高まる。車で出掛ける機会が減少すると欲求が高まるように感じている。
この欲求は,心理学的に言えばドライヴドライヴ(drive for driving)である。内的に高まるドライヴをしたい欲求(drive)なのでそう言える。昔のブログに同じようなことを書いた。
30歳で新車で購入したAQUAを乗り続けて6年半が過ぎた。走行距離は55,000kmほどである。誰が決めたのか知らないが一般的に受容されている「年間10,000km」という目安の数値と比較するとやや少ない。毎回の法定点検とオプション点検では特段問題はない。海沿いを走りたい。訪れたことがない沖縄市やうるま市も訪れたい。国頭のやんばるは運転していて酔うので今は別に良い。
2020-10-19
動的にシフト
COVID-19に関する情報リテラシがある程度普及し,基本的な体調管理と衛生管理を行えば問題は小さいと認識されるようになってきた。不用意な人や軽薄な人は問題外だが感染に過剰に反応するに足らない状況が普及した。私はそもそもそういう人を評価しないが,「徹夜で丸1日寝ていないんだ。」みたいなことを自慢げに提示する人は今では免疫力低下の観点から敬遠されるし,咳き込みながら「大丈夫,大丈夫。」と言って体調不良を押してまで何かを成し遂げようとする行動ももはや駆逐される情勢となった。また,メディアは感染者数を強調して内情をあまり提示しないが,脆弱な人はどうしたって大変だということはある。心理学的にも生物学的にも,生得的に抑うつ的である人や遺伝的に社会生活に困難を抱えやすい人がいる。同様に,生得的に感染症に罹りやすい人とそうでない人がいる。感染症と人種の関連も明らかになってきている。
生活を動的にシフトする。旅行にも出掛ける。3月以降,半年以上沖縄から出ていない。国家的にも,都道府県単位でも,そして,ローカルな事業所としての大学としても,動きにくいところがあったし,動くことができても店の休業等で面白くない点があったので沖縄にいた。普段はウォーキングとランチ巡りをして健康維持を行う行動を繰り返していた。飛行機や電車や車に乗って人に会ったりアイコンを訪問したり食事をしたりしたい。海外はまだ当分行けそうにないが,関東や関西に出掛ける。沖縄県内でも涼しくなってきたので行楽にも良い季節だ。美ら海水族館の年間パスポートの持ち腐れ解消もしよう。
2020-10-15
大自然や異国の街並みだらけ
猫と同様にInstagramを使って大自然や異国の街並みの画像や動画をたくさん参照する。私は旅行が好きである。だが,今年は半年以上沖縄から出ていない。そろそろ旅行に出掛けたい。
参照履歴の影響でInstagramの検索画面を開いた時に表示される画像と動画が大自然や異国の街並みだらけになった。「travel」のタグを使うと大自然や世界のアイコンや絶景が高画質で参照できる。海,山,川,砂漠,断崖,谷間,洞窟,山里,巨岩,古代遺跡,教会,新旧の市街地,高層建築,水上バンガロー,世界遺産の中のホテル,など多種多様である。最新鋭の機材を用いて撮影した画像と動画が堪能できる。世界規模で見れば国や地域によって法律が異なるのでスリリングな手法で撮影した画像や動画(e.g. 流れるマグマ)も参照できる。たまに世界を旅する美人を写した画像や動画が出てくる。私は美人は好きだが美人はKaia Gerberで解が出ているので,「travel」のタグで検索する際はその人たちはむしろ邪魔である。
2020-10-12
猫だらけ
Instagramで猫の画像や動画をたくさん参照する。動物を見てリフレッシュする感覚とインスピレイションを受ける感覚を強く実感している関係で,Instagramでも動物の画像や動画をたくさん参照する。特に猫が可愛い。
参照履歴の影響でInstagramの検索画面を開いた時に表示される画像と動画が猫だらけになった。子猫は文句なしに可愛い。寝ていても歩いていてもツルツルのタイルで脚を滑らせながら歩いていても可愛い。心理学や生物学では,人間は乳児や幼児を養育するようになっていると指摘するが,その理由を,身体の小ささや丸み,その小さく丸い身体における眼球の比率の高さ,などに対してaffectionを抱くためと説明する。人間と猫は種が異なるが,愛らしさは変わらない。私は成猫も可愛いと思うと同時に興味深いとも思う。どういう経緯か分からないが,数匹の猫が無防備な体勢で寝ている画像は気になって見てしまう。フロアとソファの間に挟まってニョキニョキ左右に動いて難を逃れようとしている動画は不気味だが面白い。たまにTV番組で猫の画像や動画の特集を見かけるが,日頃から観まくっているこちらとしては既知のものが多い。
2020-10-08
2020年度教育実践学専修教員紹介
2020-10-05
秋開催の春の歓迎会
4月から琉球大学に所属している大学院時代の後輩の歓迎会をした。春はCOVID-19の影響で会合が持てなかった。その後も緊急事態宣言等が継続して出ていたわけではないのでタイミングを見て歓迎すれば良いだけの話だが,店の営業も関係するので落ち着いた9月に行った。広島大学の話などをした。助教時代にいくつかの科目を教えていた学生が今は助教をしているという話になった。時の流れを感じた。瀬長島のPOSILLIPOに行ってピザを食べた。美味だった。海を眺めて食べる釜焼きピザは最高だった。その後くるくまに行ってスイーツを食べた。美味だった。海を眺めて食べるスイーツは最高だった。
2020-10-01
A New Lab Member
A researcher has joined our laboratory as a Research Fellow. We lab members study Educational Psychology together from today on. Welcome to University of the Ryukyus.
2020-09-28
2020年度前期を振り返る
2020年度前期はCOVID-19との付き合いが続いた半期であり,後期もその付き合いは続く。私は今年の年始から1年のテーマ設定をしないことにした。それは人生経験が増えるに連れて人生は予測しないことに多分に影響を受けることが分かってきたためだった。そして,前期はイレギュラーだらけの半期だった。前提や慣例が大きく崩れた。私の体感でCOVID-19の社会的影響を振り返ると,2月は楽観的な向きもあったが3月以降は継続して影響を受け続けた。大学では遠隔授業やオンライン会議が主になった。私が行った遠隔授業の趣旨は「授業におけるQ&A総覧」にまとめた。琉球大学は4月になし崩し的に遠隔授業に雪崩れ込んだので前期は教員も学生も辛い部分があった。だが,先日も書いたが,学びの本質は変わらない。環境要因を無視したとしても学びに積極的な学生は自主的に学びを高めている。教授会は数回代議員会で代用された。地方の国立大学法人の大学にいると准教授以下も教授会に参加するが,基本的には教授が大学の運営方針を決める状況は変わらない。琉球大学は審議事項の準備不足の状態で「みんなで決めましょう。」と全体会議に諮るとともに議決の際に「みんなで決めたよね。」というイクスキューズを担保することが珍しくないので教授で懇ろにしてから提示してくれれば話は早い。いや,それが本来的だ。企業も経済活動で大きな影響を受けてビジネスの概念が変わりつつある。企業の採用活動では春の時点では「こういう状況なので説明会はオンラインでやりましょう。」くらいのものだったが,徐々に採用活動自体を中止するようになり,今では内定を取り消す流れもある。JALの赤坂祐二社長が新聞のインタビューで「今の状況を考えると,来年入社してもらっても新人の方には仕事がない。」と述べたことは衝撃的だった。倒産件数も増加傾向にある。ウォーキングで国際通りを歩くと休業していた店の中に移転や閉店する店を見かけるようになってきた。もちろん,業種によっては諸般の工夫で好調を維持したり特需的な事態となっていたり形態を変容させて新しい日常に適応したりしているところもある。いずれにせよ,これまでの常識が変わった。「正しく恐れよう。」などと言うが,恐れ方に正しさなどない。人や怪我を怖がる人は普段から家に引きこもって人的接触やリスクを避けている。病的ではない水準であっても,交通事故を恐れて二輪車だけは乗らない人がいる。同様に,事故の衝撃に弱いという理由で軽自動車だけは乗らないとか日本車はそもそも乗らない人がいる。恐れ方はそれぞれである。買い物をして帰宅した際に全てのものを消毒する人もいる。日本は密で稼いでいたことも明らかになった。日本の商売は売れていることが売れる秘訣のひとつであるが,売れていることのアピールは行列や混雑や予約が取れないことで表現される。今となっては行列や混雑は感染症対策の不備と批判されてしまう。
エアコンの業者によるクリーニングは沖縄では毎年すべきだと分かった。クリーニングを発注した後も,エアコンのファンの部分に汚れが付着し,カビが発生することは日常的であるらしい。必要なコストと分かったのでシーズンに先んじて毎年クリーニングをすることにした。
2020-09-24
宅配ピザ
今年の沖縄は複数回台風の影響を受けた。暴風で水面の海水と水深200m以下の海水がかき混ぜられる。生息する海域の海水温が低下するので珊瑚にとっては生育環境が良好となって白化現象は免れる。だが,陸上の人間生活には基本的には悪影響である。雨風で1日家から出られない日があった。
台風の雨風で家から出られない日に宅配ピザでも食べてみるかと思い立って電話したが,店はテイクアウトのオーダーのみの対応で宅配してもらえなかった。宅配ピザ屋なら特別な装備や巧みの技で雨風の中を宅配してくれると思ったが,そうでもなかった。
その後,数日経ってもピザに関する認知的ネットワークのプライミングは継続した。近所にある石窯で焼くピザが自慢のピザ屋に行ってピザを食べた。美味しかった。
それ以降もプライミングは継続した。家のメールボックスに宅配ピザのチラシが投函されていた。sizzlingな迫真の写真が購買意欲を高めた。
そしてある日,ついに宅配ピザをオーダーした。原材料に満足できないことが主な理由で何年も食べていない。宅配ピザと「エビマヨ」は認知的ネットワークの中で共に活性化していたので「エビマヨ」を含む4種の味が楽しめるピザを食べた。美味しかった。店で食べるピザとは別物と認識すると良い。科学技術の賜物である。食材と生地のバランスが良く食感も最高だ。宅配中にピザが冷めないように専用の加熱機材で宅配してくれるので火傷できるほどの温度でピザが届く。コーラを飲みながら食べた。見た目はもこもこしていてチーズなのか肉なのか野菜なのか何が何だか分かりにくい状態だったが美味しかった。
満足した。この先数年は食べないだろう。
2020-09-21
花,動物,アート
2020-09-17
経済の演習の総括
今年に入って進めてきた経済の演習についてまとめる。楽しく充実した学びだった。株式取引は現在も継続している。
為替の演習は終了した。機会があれば再び為替取引を行うつもりでいる。投資の世界で言う余力を維持していつでも関与できる状態でいればタイミング良く取引することができる。為替相場への関心は世界情勢への関心となって日常生活に幅を持たせてくれるだろう。まあ,遊休資本が少し増えてまた遊休資本になったという話である。
株式取引は趣味の形で継続している。日常生活に制約がある中で株式市場に関する情報はインドアでこつこつ処理するには好適品である。自分で経済に関する仮説を立てて検証できるので面白い。株式取引は私の行動傾向にマッチしていて,一連の演習から現在に至る趣味はかなり面白い。その面白さをボジョレーヌーヴォー(Beaujolais Nouveau)のコピー的に言えば「ここ数年で最高に面白い趣味のひとつ」といったところである。時間がある時は個別銘柄を確認してあれこれ言っていられるが,時間がなくなれば面白そうな投資信託を選択しても良い。とにかく,その関与によって社会を見るチャンネルが確保できる。アプリで数字の変動を見ると何かの成長を見ている感じがして面白い。株式の演習は地道なプラクティスだった。質が良いグッドプラクティスとして有意なものとなった。これまでは日本国内の株式を対象としていた。外国株式は,取引時間に制約がある点と私の「日本はすごいよね」という株式取引の方針が通用するか不明な点において今後の検討課題である。私は日本時間で朝起きて昼活動して夜眠るという生活を基本としているので,夜間取引やEuropeやUnited Statesの市場で取引することはない。また,日本と関連する株式であれば私の方針は通用するだろうが,日本の株式ではなくわざわざ外国株式を取引するメリットが現時点では不明である。
経済は為替と株式と金利が関連しているので演習項目に金利が残っているが,金利の演習を行う予定はない。金利は為替と株式との関連の中で考慮して終わりである。金利単体で学ぶことはしない。私が一連の演習で用いた資本は遊休資本であり,その遊休資本は世界からすれば砂つぶにも満たない些少なものである。5年や10年の国債的サムシングを買っても資金の流動性を低下させるだけである。国債は比肩すれば安全性の高い金融商品だが,それは国債を買ってリスクを分散させることに価値を見出せる人,すなわち,お金持ちの話であって,私は該当しない。私は滝川クリステルではない。そもそも,国債は購入すればやることがないし,変動金利の動向を展望するとしても高が知れているので,演習としては為替よりシンプルで適性が低い。また,FX(foreign exchange)はスワップで利益を上げられることが魅力のひとつとされるが,私は為替であっても株式であっても基本スタンスが長期的であり急騰落しても「寝て待て」の姿勢で,強制ロスカットが効果を発揮しない急激な騰落はリスクでしかないので演習項目から外れる。それはまるで,演習を履修していたらある日突然に履修者名簿から名前が削除されるようなものである。さらに,金利の演習のために誰かにお金を貸与して利子を取れば場合によっては就業規程に抵触する。私は,学生に対して学費や奨学金の話をする際,インフォーマルであることを明確にした上で,お金に困ったら個人的に無利子で100万円貸してあげるから学生の間にできることを積極的に行いなさい,と言う。しょうもないアルバイトや些細な金銭的制約で学生時代の機会を無駄にするなと伝える。アルバイト先で掃除で使っていたモップをフロアに叩きつけてそのままアルバイトを辞めるような醜態を晒すような真似をしなくて良い。私からすればお金を無碍に保有しているより有意義だと思うし,100万円程度なら借りパクされても困らない。ただ,観念は伝わっていると自負しているが,今まで借りにきた学生はいない。「おい淡野,ケチなことを言わずにあげれば良いじゃないか。」と言われそうだが,私はお金を方方にあげられる人ではない。私は前澤友作ではない。なお,為替の演習では外貨預金をしたので金利がついたが,食事をしたらなくなる程度の金利だった。為替の場合は相場の変動による金額変動が大きいので金利を気にする世界ではない。
知人はいろいろな反応を見せた。とっしゃんには折に触れて経済の演習を報告していた。とっしゃんは経済学部を卒業している。学部生時代に一緒に統計の勉強をしたこともある。やり込みがいがあると伝えると「淡野のことやからどうせすぐ飽きるで。」と言われた。確かに,私のことだから飽きる可能性はある。数年経てば,何か他のことを始めて,ボジョレーヌーヴォーのコピー的に「2020年の株式取引を上回る趣味」みたいなことを言っているかもしれない。とりあえず今は続いている。「淡野に対して靴はええのんを履けと言ってきたが,俺自身は最近GUの990円の革靴を履いてるわ。」とも言われた。そんな私は最近はcrocsに飽きてそれこそええ靴を履こうと考えている。とっしゃんとは近いうちに奈良で食事をする約束をした。母親にも一連の話をした。「お金が増えたからといって人に言い触らさないようにね。」と言われたが,金額的にはビルが建つようなものではないのでどうということはない。大学教員が知恵を使って演習をした結果の金額としては「ぼちぼちでんなあ。」というところである。そもそもお金に限らず自己主張が強い人間は面倒だからそのようなことはしないと強く決めている。このブログに書いていることは嫌なら読まなければ良いだけなので他者を否応なく巻き込むことはない。ただ,私は一連の演習を通して涵養した心理学と経済学の知見は授業でも話す予定である。これまでは「心理学と経済学は関連する領域がある。」といった概要程度の話しか講義では触れてこなかったが,論理の必要性に応じて為替や株の具体的な話とそれらの取引で外在化する人間行動の説明ができるようになった。私は着想した話は最初に知人に話すことで自身の理解を深め論理的説明を準備する。そして講義や講演で話す。そのようにして知見をブラッシュアップしている。ある人に経済の話をしたら投資信託の利益が相当なものになっていると言う。詳しく聞きたい。
私の認識の中で資産運用の概念が拡張している。為替と株式の取引によって金額的には世界一周旅行が何度かできるお金が増えたが,現状では当分できない。航空業界の展望では航空ビジネスがCOVID-19以前の水準まで戻るのは2023年以降だと予測する向きが強い。航空ビジネスのあり方自体が変わるとも言われている。世界の主要な航空会社は,雇用を含む経営のリストラクションや,融資の確保や,旅客の搭乗やフライト中のサーヴィスに関する新たなルール設定でてんやわんやである。破産した会社もある。これまでは保有あるいはリースしている航空機に乗客搭乗率60%以上でフル稼働させて(i.e. 乗客と貨物の乗り降りとメンテナンス以外の時間は可能な限り空を飛ばせて)利益をあげるビジネスモデルだったが,今となっては何も運ぶことがなくなった航空機が世界中で駐機されている。メンテナンスが義務付けられているので折に触れて何ものせずに空を飛ぶこともある。JALは100%出資する国際線中長距離LCCのZIPAIRを運航しているが,開業してからこれまでは乗る人がいないので貨物便として運航している。また,国際線ラウンジで提供しているカレーを1kg2袋入りで6,000円で通信販売している。普段からファン向けに販売しているならともかく,この情勢でやむなく販売している印象がドミナントで気の毒である。まさかのkg売りとなっている点も侘しい。ANAはA380をメンテナンス飛行のついでに成田発成田着で企画フライトを運航しているが,A380は保有しているだけで馬鹿高い維持費が必要で,飛行機が飛ばなくてもお金が飛んでいく状況にある。外国の主要なエアラインはA380の引退を順次進めている。ワクチンが普及し,定期航空便が復旧し,航空機の安全運航が確認され,搭乗や出入国に係る諸手続きが正常化し,ラウンジや機内食が従来通り楽しめるようになった頃に世界一周旅行に出掛けよう。訪れる街で物価や為替の勉強ができる。食文化も体験しよう。これまでの学部レヴェルの演習を経てマスターレヴェルの特論ができそうだ。世界の有名建築や景勝地を背景にして「心理学用語の解説」とか「恋愛のテクニック3選」とか「徹底解説:何何の勇気」みたいな解説動画を撮影をすれば並のYouTuberみたいなことはできそうである。絶対やらないけど。母にビジネスクラスで行く世界一周旅行を提案したら意欲的な反応だったのでもしかすると一緒に出掛けるかもしれない。旅費を確保しておく意味で短期の国債や社債の購入や定期預金の締結を一瞬だけ考えたが,手続きが面倒なので次の瞬間にやめた。普通口座に入れて置いておけば良い。私はあったら使ってしまう性格ではない。旅先でキャッシュを使う際にはUnited States DollarとEuroが便利なので,円高が極まるようなことがあれば両替をしておくことはオプションとしてある。なるほど,このようにして資産運用という概念が拡張するのか。演習をした甲斐があった。
2020-09-14
経済の演習:株式
2020-09-10
新しい食習慣
2020-09-07
経済の演習からのフィールドワーク
2020-09-03
経済の演習:為替
経済の演習として外貨預金で為替を学ぶことにした。為替はシンプルで分かりやすい。為替に詳しい人や手っ取り早く儲けたい(?)人は外国為替証拠金取引のFX(foreign exchange)で差金決済をする。利益を出すことは当然だが,私は資産運用に関しては初学者なので今回は堅実に学びたい。大学的に言えば,私がFXで差金決済をするのは,学部の概論とマスターの特論を受講せずにドクターの講究を受講して専門家相手に発表か何かで講釈するようなものである。そのような場合であっても時にはスマッシュヒットを飛ばすことはできるかもしれないが,あまり有意ではない。私の目的は心理学を軸に演習で経済の世界を体感することである。そのため,現物取引の為替を選択した。自身で基礎的なことを実際に行うことに意味があるので投資信託は避けた。誰かに頼んでいては意味がない。もちろん,投資信託でも自己選択できるポートフォリオのヴァリエイションは膨大であるが,今はその時ではない。プリミティヴな手続きや実情を学んでこその演習である。大学における心理学の初学者向け演習では手間暇かけてデータ収集およびデータ分析の方法を学ぶ。この手間暇をかけた経験とその表象が重要で,後の研究の展開や研究の評論に有意義となる。心理学の概論科目で学生のコメントやレポートを評価すると,心理学を専門とする学生とそれ以外の学生では心理学の基礎に関する具体的経験で培われた緻密さが差異として明確になる。教科書の言語的情報の記憶と文理的並び替えだけでは培われないものがそこで外在化する。地道なプラクティスが重要だ。それらの質がよければグッドプラクティスとしてその後も有意なものとなる。
2020-08-31
教養
2020-08-27
沖縄のスイーツ土産のおすすめ
2020-08-24
最年少二冠(?)の今後を期待する
7月に棋聖位獲得により最年少タイトルホルダーとなった藤井聡太棋聖が,今回王位のタイトルを奪取して最年少二冠(?)記録を更新した。そんな記録あったんだ,と思う。観点を工夫すれば記録は幾つでも設定できるので最年少二冠とは上手く言ったものである。これは世の中が吉報を欲していることを示唆する。もちろん,将棋界の知性が名実共に評価されたことは喜ばしい。
将棋という知性の極みのひとつであり日本の文化のひとつである概念に藤井二冠がどのような影響を与えるのか私は楽しみにしている。これからが重要である。将棋ではタイトル保持者は立ち居振る舞いも評価される。将棋以外の仕事も増える。タイトルを獲得した後に将棋や心身のバランスを崩してその後不調に陥る棋士もいる。藤井二冠は言動から将棋に関する文献を多数読了していることが示されているのでそのあたりのバランス感覚は先行研究を踏まえて問題は少ないとは思う。期待している。
2020-08-20
大友花恋と細谷理紗とKaia Gerberの非日常性に惹きつけられていたら日常を考えていた
女優の大友花恋に惹きつけられている。映画「君の膵臓をたべたい」を鑑賞して主演の浜辺美波の演技に唸ったが,共演者である大友花恋がshow businessの世界で魅力が強いことに気づいて惹きつけられている。
私はshow businessにコミットする人に非日常を期待する。常人に備わっていない身体的特徴や認知的能力を備え,環境的お膳立てと周囲のサポートを味方につけ,浮世離れした感じを良いと認識する。沖縄ではリゾートホテルや飲食店を紹介するメディア情報が年間を通して発信されているが,プレゼンターやモデルがオーディナリなので受け手の私は全く羨望がない。日常的にそのホテルや飲食店を利用できない感じが出てしまっているので残念である。文字通りタレント不足である。タレントがある人は東京に進出するので沖縄にはいないのだろうし,沖縄でローカルに発信する限りではタレントがある人を東京から沖縄に呼ぶには経費が嵩むので難しいのだろう。また,空港のラウンジを利用する際や車の定期点検の待ち時間に眺めるファッション誌の街角スナップも興味がない。当人はトレンディで高価な服を着て雑誌に掲載されて嬉しいのかもしれないが,スタイルに特筆することがないし着こなせていないので「背伸びしてピカピカの服を着ている感じ」が否めない。服に着られるとはよく言ったものである。誤解のないように書いておくが,私はそれが悪いと指摘しているわけではない。資源は環境的にも人的にも有限でありアヴェイラブルな人材で企画を構成するよりない事情は理解できる。
大友花恋は容姿端麗で,ハイブランドのイメージキャラクタなども務め,所属事務所もマネジメントでは不足がなく,小賢しいことをしない,文字通りタレントを持った人であり,非日常的である。よろしい。このまま活躍して欲しい。
モデルの細谷理紗はスタイルが良い。あえて日本で類比すれば女性の平均身長から3SD離れている。モデルとしては珍しくスタイルの良さを主張しないスタンスのようだが,主張しなくても良いものは良いとすぐ分かる。
地球規模で見るとモデルのKaia Gerberは圧倒的な天才を持っていて非日常的を超えて異世界的である。彼女がこれから先どのようなムーヴを展開してくれるのかフォローして観察している。他の人間がどれだけ手をかけてもそうそうなれる体型ではない。生まれながらに他の追随を許さない。抜群である。組み込まれている社会的なネットワークも最高級である。溢れる才を少し分けてくれ。
生まれ持った才能について考えると,詐欺の被害者の思考を考察するきっかけになる。天才は偶然に左右される部分がある。気づいた頃には人より長けていた,というような個人の努力で涵養する類のものではない才能がある。それが運に左右されて備わるサムシングだとすれば,突然自分に僥倖がもたらされる可能性を信じることも自然である。当選詐欺や還付金詐欺はそれくらいの幸運はあっても良いだろうという思考が影響しているところもあろう。
誰かから何か知らされるということで書くと,日本では今年に入って政府や自治体レヴェルで緊急事態宣言が宣言されてきたが,私は大学から政府と文部科学省,あるいは,沖縄県の緊急事態宣言について周知されたが,私生活では直接的に誰からも何も言われていない。琉球大学のメールで政府および沖縄県の緊急事態宣言とそれに係る対応は周知された。だが,私が大学に所属せず,TVも観ず,ラジオも聴かず,新聞も購読せず,インターネットも利用しない生活を送っていたら,世間がこのような状況になっていることをどのように知れば良いのだろう。役人が家庭訪問して説明するわけにもいかない。
大友花恋と細谷理紗とKaia Gerberの話を書いていたら超日常的なことを書いていた。なんて日だ。
2020-08-17
Nature and Nurture
2020-08-13
沖縄の盆
沖縄の盆は旧盆がドミナントで8月13日から15日ではないこと,また,年によって暦で変動することに慣れた。この件は沖縄に移住してからブログに何度か書いてきたが慣れて普通になってきた。例年実家に帰ることはしない。旅行に行くか沖縄で遊んでいる。今年は情勢的に注意を要するので夏の盛りが来たと感じながら普段通りに過ごしている。
2020-08-10
立川談志からのインスピレイション
2020-08-06
前期授業終了
2020-08-03
沖縄のランチとカフェのおすすめその2
2020-07-30
2020-07-23
アシスタントを雇うか否か
2020-07-20
物事の歴史を知りたい
私は物事の歴史を知りたい人なので各チャンネルの動画を古い順に並べ替え,そのYouTuberが動画投稿を始めた時期と今の動画の同一性や差異性を検討した。最初から手間暇かけて動画を作っている人もいれば,アーリーアダプターとしてなんとなく始めたが視聴者数が徐徐に増えて次第に画質を上げたり手間暇をかけたりして動画を作っている人もいた。ある時を境に動画の構成が変化したことから事務所に所属したことが考察できるケースもある。美容整形のタイミングも容姿の変化で分かる。並べて比較すると対比効果が顕著になって分かりやすい。今日からYouTuberを始めるとしても余程の著名人でない限り商業的成功は難しいが,どこかで何かのきっかけがあって人気者となる人がいる。学生に紹介してもらったチャンネルが注目されるようになったきっかけを私は淡淡と見ていた。
好きな歌手の曲を知らない学生がいて興醒めだったことを思い出した。BUMP OF CHICKENが好きだと言う学生がいた。私も好きなので幾分意気投合した。ある時,私はカラオケで「とっておきの唄」を歌った。学生は知らないと言った。何を聴いてきたんだと思った。私は好きになったらその歌手の曲を全て聴く。研究も同様で,テーマを決めたら論文を全て読む。その学生がその歌手を好きなのは本当だろう。趣味だからどのように好きかに正統も何もない。ただ,好きな歌手の曲を知らないのは寂しい。
2020-07-16
2020-07-13
ぴえん超えてぱおん
なお,「JC」や「JK」は性的な(時に違法な)文脈で女子中学生や女子高校生を指す際に用いられる隠語として認識していたが,今ではシンプルに略称として一般的に用いられているようだ。JK自身がJKと自称する場面もある。上述のように流行語大賞としても銘を打って広く認識されている。私などは「JCが中華料理店で大暴れ」みたいな見出しが目に留まり,剛腕な女子中学生でもいるのかと気になって画像を参照したらJackie Chanが中華料理店で悪党と戦って無双している画像だったことがある。同様に,「JK」は女子高校生ではなく川平慈英,「JD」は女子大学生ではなくJohnny Depp,「JS」は女子小学生ではなく城島茂で用いる件がある。これが日本の文化の奥深さだ。
2020-07-09
沖縄ではクーラーではなくドライを推奨
2020-07-06
沖縄の塩のおすすめ
2020-07-02
沖縄のリゾートホテルのおすすめ
2020-06-29
沖縄のカフェのおすすめ
2020-06-25
沖縄のランチのおすすめ
また,大衆食堂でおすすめをひとつ挙げるなら,みかどをおすすめする。気軽に立ち寄ることができ,食材に一定の配慮があり,タクシー運転手をはじめとした地元客や観光客も集う雰囲気を楽しむことができる。メニュは店のメニュ表に「当店おすすめ料理」と書かれているものなら何でも美味い。フライパンが溶けてしまうのではないかと思うくらいの火力で手際良く調理してくれる。偏向のクセが強い沖縄の新聞を読みながら地元客と店員のやり取りや観光客の会話を漏れ聞いていると沖縄における人人のビヘイヴィアを参照するフィールドワークの機会になる。
さらに,沖縄そばでおすすめするなら,きしもと食堂をおすすめする。鰹が超絶に効いた出汁が美味だ。行列ができる人気店として知られるが観光客で賑わう夏以外の季節に開店時間に合わせて店に向かえばあまり並ばずに済む。繁忙期に店に行くと炎天下で行列に並ぶことになる。オーディナリな人間にはそれは危険である。
2020-06-22
沖縄のステーキランチの食べ比べとおすすめ
私は沖縄でステーキを食べ比べることにした。飲食店でも「入店時にはマスク着用と手の消毒をお願いします。」とか「ソーシャルディスタンシングの観点から座席にゆとりを持たせている都合上,ご案内にお時間をいただく場合がございます。」等の注文がある店は珍しくない。日本では差別を除く合理的な飲食店側の客に対する入店拒否は違法ではないのでいろいろと注文をしても問題はない。「こんな飲食店は嫌だ。」という漫談を構想するとして,1年前に構想していれば笑いを想定できた店側の注文も,今構想すれば新しい生活様式として可笑しなことではなくなっていることがある。マスク着用の依頼も,手の消毒の依頼も,客から距離を取った注文確認も,インテリアを度外視したアクリルボードやビニルシートの仕切の設置も,今では奇異ではなくなった。「ことに肥とったお方や若いお方は,大歓迎いたします」とか「壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。」は宮沢賢治の「注文の多い料理店」の件であるが,COVID-19以降はこの物語の認識が変わるだろう。私などは身長の関係でアクリルボードやビニルシートの上から話しかけてしまうことがあるが,それはそれで漫談的である。とにかく,飲食店は日本では生活インフラのひとつと見なされているので出入国ほど厳格なルールはない。沖縄には名の知れたステーキハウスがいくつもある。私はあまり肉に興味がないが,ステーキハウスが長年沖縄で営業しているなら食べる価値はありそうだと考えこの機会に食べ比べることにした。沖縄のステーキハウスのステーキは高価ではないし,そもそも私は家計的にステーキを毎日食べても問題無いのだが,私にとってはあまり興味がない肉は今回のようなキャンペーンでないと気が進まない。それに,手頃な価格のステーキだからこそ食べ比べる甲斐がある。中華蕎麦とみ田の店主である富田治が,とある取材で「3万円や5万円の料理は美味しくて当然で,800円程度でいかに客に夢を見させられるかがラーメンの面白さである。」という趣旨のことを発言していた。私もそう思う。日本の物価においてそこそこの価格であるからこそラーメンであっても沖縄のステーキであっても面白さがある。なお,私はお酒に関してはすでに1万円までは価格と美味しさは相関すると結論づけている。
ステーキハウスではシグネチャや一番人気のメニュを選択して食べた。下調べをした段階でステーキの種類の多さに驚いた。肉の初心者である私には選びきれない数だった。シグネチャや一番人気のメニュなら失敗はないだろうという目論見である。
ステーキ食べ比べは楽しかった。いずれのステーキハウスも木を基調としたインテリアを採用していて落ち着いて食事ができる雰囲気があった。ステーキを食べた後は体が温かかった。ただ,汗をかくと汗がベタつく感じがあった。焼き手のパフォーマンスが売りのステーキハウスも訪問したが意外と好印象だった。パフォーマンスは客も気を遣う。私はお金を払って焼き手の生き甲斐に貢献できるほど良い人ではないので相性は良くないと思っていた。同様の理由で私は添乗員が同行するツアーも参加しない。ガイドが欲しい時は個別でガイドをオーダーする。今回はキャンペーンなので食わず嫌いをせず,とりあえず焼き手が目の前で腕を振るうステーキのコースを食べた。焼き手はスパイスを投げたりナイフを振ったりしてはいたが,パフォーマンスの押し売りはなかった。所謂「ドヤ顔」の表出もなかった。手際の良さを主軸にしたホスピタリティが感じられたので好印象だった。
好みの問題であるが,ステーキハウスハンズ本店とジャッキーステーキハウスがおすすめできる。ステーキハウスハンズ本店で食べるステーキは初心者の私でも美味しく感じられたし,インテリアと接客が良くて推薦できる。食材への配慮もある。ステーキをオーダーすると食べ放題になる自家製カレーも美味しい。歓楽が好きな人にはジャッキーステーキハウスがおすすめである。United Statesによる統治時代を偲ばせる「A Sign(Aサイン)」のインテリアがある。ジャッキーステーキハウスは店の歴史,立地,および,営業時間から,歓楽街との親和性がある。私は歓楽街のお金で手に入る性的快楽に興味がないので沖縄の辻および松山は詳しくないが,好きな人は遊ぶコースの中にステーキハウスを組み込んで華やいでも良いだろう。沖縄の本土復帰が1972年だったことによる風営法の適用の遅れが沖縄の歓楽街を特徴づけていると言われる。歴史のフィールドワークになる。私は琉球大学に来てすぐの頃に学生から「将太先生,歓楽街の良さは実際に体験しないと分からないですよ。」と言われたことがあるが,私は外側から知見を聞くだけで良い。
今回,ステーキではないがついでに叙々苑を訪問して焼肉のコースも食べた。叙々苑の焼肉は肉の旨味が引き出されサラダやキムチを総合してバランスよく楽しめた。沖縄浦添パルコシティ店は海が見えるので眺めも良かった。ランチでお得だからという理由で最も高いコースを選択して食べたが,脂が控えめの肉を使った中庸の価格のコースが私にはマッチしているかもしれない。マグロでも大トロより中トロの方が好きだし。
今回のキャンペーンを振り返ると,私はやはりあまり肉に興味がなく,食べるなら良い肉を少しだけ食べたいことが分かった。叙々苑にはたまに行っても良いがステーキハウスやオーディナリな焼肉店に通うことはこれからもない。
なお,一連のやり取りで写真で食べ物を撮影する技術が向上したと感じている。所謂「物撮り」と言われるものである。ポイントは被写体に近づいて撮影することである。そうすることで素材の良さを引き出すことができる。大学院の後輩でカメラ好きな大学教員がいるが,彼が撮影する写真は被写体に気兼ねして離れて撮影するので物足りなさがある。今回はその知見を活かして思い切り近づいて撮影した。肉は逃げないし文句も言わない。ただし,ステーキと焼肉の場合はソースや肉汁が飛び散ってレンズが汚れる可能性と軽度であるが火傷する可能性があるので要注意である。
2020-06-18
1年を通したウォーキング
歩き方はシンプルで,家から徒歩圏内に目的地を設定して無給水で行って帰る方法を採用している。徒歩圏拡大のリミッターとして無給水にこだわっている。私のウォーキングの目的はあくまでも気持ち良さの獲得である。私は日頃から水分摂取量は充分で,加えて,発汗しやすい体質で,もちろん,家を出る直前に水分補給をするので,脱水症や熱中症には縁がない。「淡野,給水しながら中距離を歩くのも気持ち良いぞ。」と言われるかもしれないが,私は興味がない。距離を増やそうと思えば増やせるがそれは目的ではない。大会のようなサムシングに出場する気もない。ただし,無給水には例外がある。それは,目的地をランチ営業している飲食店にする場合である。昼食は自ずと水分補給の機会となる。この場合の徒歩圏は2倍まで広がる。
ウォーキングの距離は6kmは歩く。最近履くようになった運動に特化したスニーカーは歩きやすい。親友のとっしゃんはから「New Balanceのスニーカーの履き心地が抜群だぞ。」と言われた。次に試す。
ウォーキングの効果で主観的体調が良い。体の冷えは少なくなった。体型がスマートになった。体重は変わらず60kgで,体脂肪率は測定器具によって測定誤差が生じるが,以前より低下して11%になった。ウエストがくびれ,腹筋が割れて見えるようになった。その昔,United StatesのLos Angelesを訪れた時,帰国前日に食べたサンドイッチで食あたりになり,夜間に何度か嘔吐し,翌朝の朝食も復路の飛行機の機内食も帰国後の国内移動での食事もほとんど食べず,ヘロヘロになって家に辿り着いた翌日,洗面の際に鏡に映った腹筋が割れて見えたことを思い出した。そのまま出勤したので体調は最悪ではなかった。その時は不健康な痩身だったが,今回は健康的痩身である。そもそも痩身か。
大変よろしい。良いことが多い。ただし,私は普段からしなくて済む苦労はしたくないと思っており,しなくて良いならウォーキングなどしない。歩いて得られる気持ちよさはダルさや冷えの裏返しである。ダルさや冷えをキャンセルするために歩いている。はたちの時は今のように歩く必要などなかった。だが,今は必要である。だから,私は歩く。ショートパンツ用の脚の日焼けも完了した。
2020-06-15
2020-06-11
「君の膵臓をたべたい」鑑賞
映画「君の膵臓をたべたい」を観た。実写版の映画である。学生におすすめの映画を尋ねたらこの映画を推された。ウォッチリストに入れたが数か月そのままで観ていなかった。観る気になったのは何もする気がなくなった午後のことである。その日はよく晴れた暑い日だった。いつも通りウォーキングをした。ビーチまで歩いて空の青と海の青を楽しんだ。家までの帰り道でランチを食べた。泥のような豚骨ラーメン(褒め言葉)に生ニンニクを絞って食べた。家に帰ってデザートにチョコレートと黒糖を食べた。コーヒーも楽しんだ。シャワーを浴びて汗を流した。「今日やることは大体終わった感」が漂った。そんな昼下がり,映画でも観るかと思い立ってリストに入っていたこの映画を観た。自分が予ねてより観たいと思っていた映画なら認知的リソースを大きく割くのでこのような時には観ない。勧められたからとりあえず観てみるか,途中で寝てしまってもいいや,という気持ちで「君の膵臓をたべたい」を観た。
この映画の情報はいくつか知っていた。島根大学にいた時に学生から「「君の膵臓をたべたい」という小説が泣けますよ,先生も読みますか。」と言われた。当時は学術書とその周辺しか興味がなかったので読まなかった。その後,小説および映画のタイトルを略した「キミスイ」という語を耳にするようになった。うなぎ料理みたいだと思うくらいの認知的処理はしたが小説を読む気も映画を観る気も起きなかった。琉球大学の学生と「真実か挑戦」ゲームをしたことがあった。学生は「「君の膵臓をたべたい」のストーリーの中で出てくるゲームですよ。」と言った。このゲームは,2者でカードを引いて数字の大小を競い,勝った方が負けた方に質問できるゲームである。負けた方は,真実を選択すれば質問に正直に答え,挑戦を選択すれば勝った方の指示に従うゲームである。学生とこのゲームをして私はカードの数で何度か負けたが,別に隠すことはないので質問の全てに答えてゲームは終わった。その後,amazon prime videoを視聴するようになった際に学生におすすめの映画を尋ねたら,この映画を推され,リストに追加した。
正しい邦画の道を行く良い映画だった。世界で類比すれば制約がある方の日本の映画産業にあって,キャストも脚本も妥当である。小栗旬は役に応じて自覚的に立ち位置をアレンジできる俳優であり私は好きだ。小栗旬はとあるインタヴューで,自身が男前ではないと母親から指摘された際に,男前でいなければならない時もあるんだと応えた,という趣旨のエピソードを開示していた。私はこれに惚れた。男前である。show businessを理解している俳優であり,内心を開示できる強さを備えている。メタの視点を持ち,そのメタを自身で扱うことができている。そしてその能力はこの映画でも活かされていた。浜辺美波は明るい笑顔を持っていてはまり役である。「たくさんの候補者の中から選ばれたんだろうな。大手事務所に所属しているんだろうな。」と推測させる容姿と演技を見せてくれる。すなわち,容姿も演技も,加点法なら加点が多く,減点法なら減点が少ない。所属事務所も大手でこれからも名演技を残してくれるだろう。この作品で新人賞を受賞しまくっていたことを後に知った。邦画のディレクションは,多様なネットワークを用いてキャストを充実させると三谷幸喜のようになり,メッセージの顕在性を高めると是枝裕和みたいになり,緻密な作り込みをするならアニメにして新海誠に任せておけば良いということになる。この映画は人気俳優や有望な若手俳優を的確に起用してポイントを押さえていた。そして,費用の嵩まないシーン撮影で巧みな描写を行っていた。あくまでもストーリーが主役だった。ストーリー中の共病文庫は心理学的には内省報告であり答え合わせである。桜良がその時に何をどのように考えていたのかを明示するツールである。私は心理学を専門としているが,人の感情や認知や行動といった心理の把握は時と場合によって非常に困難となる。例えば,研究対象が乳児の場合は言語的能力の限界があるため行動指標や生理指標を用いて研究することになる。思考を直接言語化してくれればどれだけ楽だろうと思うことがある。そして,闘病中の桜良が通魔に殺害される点がブレイクスルーである。死にゆく人間が残りの時間をどのように過ごすのかを考えるところで全く別の要因で突如死んでしまう点は管見の限りでは新手である。RADWIMPSの「25コ目の染色体」を初めて聴いた時と同じ衝撃を受けた。春樹も「甘えていたんだ,残りわずかな余命を彼女が全うできるものだと思い込んでいたんだ。」と言っている。ややもすれば旅行中に病状が悪化して「誰か助けてください。」という「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいな状況が出来するが(因みに,その映画の主演である長澤まさみは浜辺美波と同じ事務所に所属している),悲劇のヒロインが予期せぬ悲劇に見舞われるという展開が私を感心させた。
何度も号泣した。人生の有限性を描く話に触れた時,私は自分の人生がこれで良いのかと自問する。この映画の桜良のように,若くして死にゆく人や生まれながらに大変な困難と向き合わざるを得ない人がいる中で,それなりに元気に生きていける自分がいる。私は宗教的コミットメントや政治的信条に特別な方向性はない。どうしてそのような病気が自分には訪れなかったのか,それなりに元気に生きていける自分は果たしてこの生き方で良いのか,あるいは,相対的な比較は別として自分の人生は何なのかと考えてしまう。世の中はどうもバランスが良いようには見えない。人生という答えのない問いに直面しながらも,何となく生きていても日常は続いていくという事実を前にする。また,若くしてこの世を去る人の話に触れる時,無念さを痛感する。もっとしたいことがあっただろうに,また,もっとしてあげられることがあったのに,という思いに囚われる。それは生きている人,言い換えれば,残された人の都合である。世界は生きている人のものであり,その人の都合で成り立っている。その現実を思う。歳を取るにつれてヒューマンドラマに泣けるのはこのような思考を行うようになるからだと私は考える。
良い映画に出会えたのでその旨を知人に告げた。島根大学の教え子に伝えると「どのような話か忘れたな。」と言われた。君はそれで良い。君のそのような特性が面白くて今でも交流を続けているのである。それこそ,どうして君はそのような人生を歩んでいて,私はこのような人生を歩んでいるんだ,と改めて考えさせてくれる。琉球大学の学生に伝えると「原作の小説も読んでみてください。」と言われた。そこで,原作の小説を読んだ。映画とは後半の構成は異なるが,原作にも感動した。原作では,春樹の回想で「僕は,残り少ない彼女の命だけは世界が甘やかしてくれると信じきっていた。」と書かれている。あの展開の工夫は,研究にも似ている。原作の小説は作家のデビュー作である。デビュー作は,実力を提示する必要がある。小説の世界は歴史が古く,青春小説や恋愛小説ではあの手この手で作品が提出されている。その中で実力を示すには,いろいろな技巧を用いる必要があったのだろう。メタの視点を取り入れている点は特徴だと考えられる。心理学の1950年代や1960年代の学会誌を読むと「こんな論文が掲載されるのか?」と感じるような非常にシンプルな研究がある。今ではとてもではないが通用しない。昔は分散分析のみで良しとされていたが,今では分散分析と同時に効果量を示し,媒介分析を行い,誤差への配慮も欠かさず,チャンスがあればそれこそ内省報告も記述して,調べられることは徹底的に調べ上げて考察を行う。広島大学の教え子におすすめの映画だと伝えると,すぐに映画を視聴して号泣したと報告を受けた。そして直後に原作の小説を電子書籍で購入して読んでいた。大変よろしい。この映画は心理学的に面白い点がいくつもあったので授業で取り上げる予定である。原作の小説と映画を比較すると映画の方が格段に泣ける。私は趣味が映画鑑賞で,学生からおすすめを聞かれることがある。私が勧める映画は基本的には学生には好評を得にくいが,この映画ならキャッチーな側面もあるので良いだろう。